山形県の地名

自治体 初見年 正式採用年 名称の由来 主な旧称(時期)
山形市 1425年 1889 “山の縁・側(かた)”を指す地形語彙が語源とされ、のちに好字の「山形」へと整えられた。最上氏の城下町形成により都市名として広く定着した。
初出は応永年間(1425年頃)の文書等に「山形」。
山方【南北朝期〜】/山形(城下)【戦国期〜江戸期】
米沢市 1238年 1889 “米の実る湿地・谷”=「沢」に通じる瑞祥・地形地名とされる。中世の荘園名「米沢荘」や城下町名を継承して市名となった。
初出は暦仁元(1238)年の文書等に「米沢」。
米沢荘【鎌倉期〜室町期】/米沢(城下)【戦国期〜江戸期】
鶴岡市 1603 1889 庄内藩の城郭「鶴ヶ岡城」に由来する城下町名。慶長年間に最上氏が旧称の大宝寺城から改称して町割を進め、瑞祥の“鶴”と“岡”の字が定着した。
初出は慶長年間(1603年頃)の城名・町割記録等に「鶴ヶ岡」。
大宝寺【中世〜1600年代】/鶴ヶ岡(城下)【江戸期】
酒田市 1470年 1889 最上川河口の港町名に由来する。語源には砂州・洲の景観説や港湾の機能説など諸説ある。中近世を通じて「酒田湊」として大いに繁栄した。
初出は文明年間(1470年代)の史料等に「酒田」。
酒田湊【室町後期〜江戸期】
新庄市 1210年 1889 古代から中世にかけての荘園名「新荘(しんじょう)」に由来する。のちに「新庄」へと整字され、新庄藩の城下町として定着した。
初出は鎌 কলকাতায়初期(1210年代)の文書等に「新荘」。
新荘【鎌倉期〜戦国期】/新庄(城下)【江戸期】
寒河江市 1190年 1889 市域を流れる河川「寒河江川」に由来する。中世には大江氏が治める「寒河江荘」が成立し、のちに在郷町・陣屋町を経て近代の市名へ継承された。
初出は建久年間(1190年代)の文書等に「寒河江」。
寒河江荘【鎌倉期〜室町期】/寒河江(村・町)【江戸期】
上山市 1530年 1889 “上にある(高所の)山”を示す地形由来の在地語とされる。上山城の城下町および温泉宿場町として広範囲に普及し、市名に採用された。
初出は天文年間(1530年代)の文書等に「上山」。
上山郷【戦国期】/上山(城下・温泉町)【江戸期】
村山市 938年頃 1954 古代の郡名「村山郡」に由来する。周辺一帯を指す広域呼称であったが、昭和の市制施行時に近代の都市名として採用された。
初出は承平8(938)年頃成立の『和名類聚抄』出羽国「村山郡」。
村山郡(広域名)【平安期〜明治期】
長井市 1250年 1889 “長い井(用水・川)”や水路に通じる地形地名説や、鎌倉期の地頭・長井氏の姓氏に由来する説などがある。中世以来の在郷町名が市名へと受け継がれた。
初出は建長年間(1250年代)の記録等に「長井」。
長井郷(荘)【鎌倉期〜戦国期】/長井(在郷町)【江戸期】
天童市 1430年 1889 古く空から童子が降りてきたという伝承に基づく寺社名・修験の山名「天童山」にちなむとされる。のちに城下・在郷町として定着した。
初出は室町前半(1430年代)の文書等に「天童」。
天童(城下・在郷)【戦国期〜江戸期】
東根市 1470年 1889 山地や丘陵の「根(麓・裾)」の「東」側に位置することを示す方位系の地形地名。中世の城郭名や近世の宿場町の名として普及した。
初出は文明年間(1470年代)の記録等に「東根」。
小田島荘【鎌倉期〜南北朝期】/東根(宿・在郷)【戦国期〜江戸期】
尾花沢市 1470年 1889 ススキの穂である「尾花」が群生する「沢」という、植物と地形語彙を組み合わせた地名とされる。江戸期は羽州街道の宿場・在郷町として発展した。
初出は文明年間(1470年代)の文書等に「尾花沢」。
尾花沢(在郷町・宿場)【戦国期〜江戸期】
南陽市 1967 1967 昭和42(1967)年の赤湯町・宮内町・和郷村の合併に際し、中国の故事にちなんで「県南の陽光に恵まれ、菊が咲き誇る豊かな郷」の意を込めて命名された瑞祥・合成地名。
初出は昭和42(1967)年の市名選定時。
赤湯町/宮内町/和郷村【〜1967年迄】
山辺町 1200年 1889 “山の辺(山すそ沿い)”を表す地形語彙に由来する(読み:やまのべ)。のち中世には「山辺荘」が成立した。
初出は鎌倉初期(1200年代)の文書等に「山辺(荘)」。
山辺荘【鎌倉期〜室町期】/山辺郷【江戸期】
中山町 15世紀半ば 1954 “山々の中・峠の中間”を意味する地形由来の在地名とされる。中山城が築かれ、のち在郷町として発展した。
初出は室町中期の文書等に「中山」。
中山(村・町)【戦国期〜江戸期】
河北町 1954 1954 昭和29(1954)年の谷地町などの合併時に、町域が最上川および寒河江川の「北(河北)」側に位置することにちなんで命名された方位・合成地名。
初出は昭和29(1954)年の町名選定時。
谷地町などの各町村【〜1954年迄】
西川町 1954 1954 昭和29(1954)年の合併時に、西村山郡の「西」と、町域を流れる寒河江川の「川」を組み合わせて命名された合成地名。
初出は昭和29(1954)年の町名選定時。
川土居周辺の各町村【〜1954年迄】
朝日町 1954 1954 昭和29(1954)年の合併時に、町内にそびえる名峰「朝日連峰」にちなんで命名された山岳・瑞祥地名。
初出は昭和29(1954)年の町名選定時。
宮宿町・大谷村・西五百川村【〜1954年迄】
大江町 1959 1959 昭和34(1959)年に左沢町と漆川村が合併した際、中世にこの地域一帯(寒河江荘)を領した鎌倉武将・大江氏にちなんで命名された人名由来の町名。
初出は昭和34(1959)年の町制施行時。
左沢(あてらざわ)町・漆川村【〜1959年迄】
大石田町 16世紀前半 1889 大きな岩石(大石)が露出する段丘縁の地形や田にちなむとされる在地名。近世には最上川舟運の主要な河岸場として栄えた。
初出は戦国期(16世紀前半)の文書等に「大石田」。
大石田(村・河岸場)【戦国期〜江戸期】
金山町 16世紀前半 1889 古くからの砂金採取や鉱山開発にちなむ「金山(かねやま)」系地名。近世は羽州街道の宿場町としても機能した。
初出は戦国期(16世紀前半)の文書等に「金山」。
金山(村・宿場)【戦国期〜江戸期】
最上町 938年頃 1954 古代の郡名「最上郡」に由来する。郡全体を指す広域地名であったが、昭和の町村合併時に近代の町名として採用された。
初出は承平8(938)年頃成立の『和名類聚抄』出羽国「最上郡」。
最上郡(広域名)【平安期〜】/向町などの各町村【〜1954年迄】
舟形町 16世紀前半 1889 背後の山容や丘陵地帯が「舟の形」に見える地形にちなむとされる地名。のちに羽州街道の宿場町として発達した。
初出は戦国期(16世紀前半)の文書等に「舟形」。
舟形(村・宿場)【戦国期〜江戸期】
真室川町 16世紀前半 1889 町内を流れる「真室川」の河川名に由来する。かつては「まむろ」と呼ばれ、山間の集落などを指すと考えられている。
初出は戦国期(16世紀前半)の記録等に「真室」。
真室(郷)【室町期〜】
大蔵村 1350年 1889 年貢や物資を収蔵する「大蔵(おおくら)」が存在したことにちなむとされる在地名。中世より村名として広く定着した。
初出は南北朝期(1350年代)の文書等に「大蔵」。
大蔵(村・郷)【南北朝期〜江戸期】
鮭川村 15世紀半ば 1889 村内を流れる「鮭川」の河川名に由来する。サケの遡上が見られることにちなむ動物・水系地名であり、のちに村名へと転用された。
初出は室町中期の文書等に「鮭河」。
鮭川(村)【戦国期〜江戸期】
戸沢村 1955 1955 沢地形の入り口(戸)を意味する地形語彙、あるいは当地を治めた在地領主・戸沢氏の姓氏に由来する。昭和の大合併時において中世の郷名より村名が採用された。
初出は南北朝期(1350年代)の文書等に「戸沢(郷)」。
戸沢郷【南北朝期〜室町期】/古口村・角川村など【〜1955年迄】
高畠町 1380年 1889 周囲より高い段丘上などにある「高みの畑(畠)」にちなむ地形語彙・和名系地名。古墳群の分布とも重なる古い在地名。
初出は室町前期(1380年代)の文書等に「高畑」。
高畠(村・在郷)【室町期〜江戸期】
川西町 1954 1954 昭和29(1954)年の小松町などの合併時、町域が置賜盆地を流れる最上川(松川)の「西」側に位置することにちなんで命名された方位・合成地名。
初出は昭和29(1954)年の町名選定時。
小松町などの各町村【〜1954年迄】
小国町 13世紀半ば 1889 四方を山に囲まれた盆地状の地形「小国(小さな国)」に由来する。近世には米沢藩の要衝として小国城(館)が置かれた。
初出は建長5(1250)年頃の記録等に「小国(郷)」。
小国(郷)【鎌倉期〜】/小国(村・町)【江戸期】
白鷹町 1954 1954 昭和29(1954)年の荒砥町などの合併時に、町内にそびえる名峰「白鷹山(しらたかやま)」にちなんで命名された山岳地名。
初出は昭和29(1954)年の町制施行時。
荒砥町などの各町村【〜1954年迄】
飯豊町 1954 1954 昭和29(1954)年の合併時に、町域にそびえる名峰「飯豊山(いいでさん)」にちなんで命名された山岳地名。“豊かな稲(飯)”の瑞祥解も込められている。
初出は昭和29(1954)年の町名選定時。
手ノ子村・豊原村などの各町村【〜1954年迄】
三川町 1955 1955 昭和30(1955)年の横山村などの合併時に、庄内平野を流れる「赤川・藤島川・大山川」の三つの河川に囲まれた地形であることから命名された水系・合成地名。
初出は昭和30(1955)年の町村合併時。
横山村・押切村・東郷村【〜1955年迄】
庄内町 1400年 2005 大泉荘などの「荘園の内」を意味する広域地名「庄内」に由来する。平成17(2005)年の余目町と立川町の合併時に新町名として採用された。
初出は室町前半(1400年代)の文書等に「庄内」。
余目町/立川町【〜2005年迄】
遊佐町 13世紀半ば 1889 アイヌ語のユサ(温泉の川)、あるいは遊佐氏(当地を本拠とした武士団)に由来するなどの説がある。中世以降の遊佐郷から近代の町村名に継承された。
初出は建長年間以後の『吾妻鏡』(13世紀後半)に「遊佐(郷)」。
遊佐(郷)【鎌倉期〜】/遊佐荘など【室町期〜】

最上川と地名の広がり

山形県の市町村名は、古代の郡名(村山・最上)や、河川名(鮭川・真室川)、山名(飯豊・白鷹)、そして近世の城下・宿場・河岸場に直接由来するものが多く見られます。また、昭和の大合併では河北・西川・川西・三川など、方位や河川名を組み合わせた合成地名が多く誕生し、一方で平成の合併では庄内のように広域名を再活用した命名が見られます。

地名の由来

嚮明而治
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