埼玉県の地名

自治体 初見年 正式採用年 名称の由来 主な旧称(時期)
さいたま市 10世紀前半 2001 古代郡名「前玉(さきたま)」が平安期に好字化されて「埼玉」となる。県名に由来し、2001年に合併市名として採用。初出の確実な記録は『和名類聚抄』(10世紀前半)武蔵国「前玉郡」。 前玉→埼玉郡【奈良~中世】
川越市 12世紀末 1922 在地武士・河越氏の本拠「河越荘」に由来し、“川を越す地”の地形解釈とも親和。中世の荘名・氏名が城下名となり、近代に市名へ。初出は『吾妻鏡』(12世紀末)に「河越」。 河越/河越荘【鎌倉末~室町前】
熊谷市 1180年代 1933 荒川沿いの「隈(くま=曲)+谷」の地形語源説が通説で、「熊」は当て字。地名を姓にした熊谷直実の著名化で広域に周知。初出は『吾妻鏡』(寿永・元暦期、12世紀末)に「熊谷・熊谷直実」。 熊谷郷【12世紀末~】/熊谷宿【江戸初~】
川口市 16世紀末 1934 荒川・芝川の合流点=「川の口」にちなむ水際地名。河港の町名として近世に表記が固定し、市名に継承。初見は天正18~文禄期の郷帳類(例:『武蔵田園簿』1591頃)に「川口」。 川口/小川口【鎌倉末~室町】/ 川口宿(御成道)【江戸初~】
行田市 17世紀前半 1949 語源は未詳だが沼沢地形に関わる説がある。江戸初期から村名として現れ、のち町名・市名に継承。初出は寛永期の検地帳・郷帳(17世紀前期)に「行田村」。 行田村【江戸初~幕末】
秩父市 10世紀前半 1950 古名「知知夫」を平安期に改字した「秩父」に由来。郡名・社名の古層が一貫して受け継がれ、市名となる。初出は『和名類聚抄』(10世紀前半)武蔵国「秩父郡」。 知知夫→秩父【奈良~】
所沢市 15世紀後半 1950 古形は「野老沢(ところさわ)」=ヤマイモ(野老)の生える沢。音便・表記整理で「所沢」へ収斂し、市名に継承。初出は室町期の在地文書(文明~延徳期、15世紀後半)に「野老沢」。 野老澤/野老沢【南北朝~室町】/所沢村【江戸~】
飯能市 16世紀末 1954 荘園名「飯野(いひの)」が音変化して「飯能」へ。中近世の村名として固着し、近代に市名化。初出は郷帳類(『武蔵田園簿』1591頃)に「飯能(飯野系)」。 飯野→飯能【戦国後期~】/飯能村【江戸~】
加須市 1571 1954 新田開発の「加増(かぞう)」が地名化して「加須」に整字されたとされる。戦国の記録に現れ、近世に町名として定着。初出は天正年間の文書(1570年代)に「加増/加須」。 加増→加須【戦国後期~】
本庄市 12~13世紀 1954 「本(主)となる庄」に由来する説と、在地武士・本庄氏の館にちなむ説がある。荘名から宿名へ展開し、市名に。初出は中世文書(鎌倉期)に「本庄(荘)」。 本庄(荘)【12~13世紀】/本庄宿【江戸初~】
東松山市 845 1954 台地の松林を表す「松山」を古形とする。四国松山市と区別するため近代に方位「東」を冠し市名に。初出は平安前期の地名記事(承和~嘉祥期、9世紀)に「松山」。 松山郷→松山町【平安前期~幕末】
春日部市 14世紀 1958 中世の春日部氏の所領名に由来。近世は「粕壁」と表記され宿場名として普及したが、戦後に現表記へ統一。初出は南北朝~室町期の文書に「春日部」。粕壁宿の史料初出は『日光道中宿村大概帳』(元禄期)ほか。 春日部【南北朝~】/粕壁(粕壁宿)【17世紀前葉~】
狭山市 1832頃 1954 「狭い山(丘陵)」の地形名「狭山」に由来。狭山丘陵と狭山茶の産地名として江戸後期に浸透し、行政名に採用。初出は天保3(1832)年前後の記録・碑文に「狭山」。 狭山【江戸後期~】
羽生市 1478 1954 「埴生(はにゅう)」の好字化とされる。中世以来の地名が近世の村・宿名を経て市名に継承。初出は文明~文明末の文書(15世紀後期)に「埴生/羽生」。 埴生→羽生【室町後期~】/羽生宿【江戸初~】
鴻巣市 1602 1954 「国府の洲(こうのす)」転字説と「大鳥の巣」説が並立。宿場名として表記が固定し市名に。初出は慶長7(1602)年の中山道宿駅制整備文書に「鴻巣宿」。 鴻巣宿【慶長7(1602)~】
深谷市 14世紀末 1955 低湿地を指す地形語「深い谷」に由来。在郷町名として定着し、近世の宿名を経て市名に。初出は南北朝末~室町初期の文書に「深谷」。 深谷宿【江戸初~】
上尾市 1602 1958 台地の“尾”の上=「上の尾」にちなむ。中山道の宿名として広く用いられ、市名に継承。初出は慶長7(1602)年の宿駅制関係文書に「上尾宿」。 上尾宿【慶長7(1602)~】
草加市 1630 1958 砂地を指す古語「ソガ」が転訛して「草加」となったとされる。寛永7(1630)に宿場が立ち、元禄15(1702)頃に整備。初出は『日光道中宿村大概帳』(元禄期)等に「草加宿」。 草加宿【設置=1630/確立=1702~】
越谷市 1602 1958 自然堤防を「越す」谷地=「越ヶ谷」に由来。慶長7(1602)の宿駅整備で越ヶ谷宿が成立。初出は慶長年間の宿駅文書・触書に「越ヶ谷宿」。 越ヶ谷/越ヶ谷宿【江戸初~】
蕨市 1352 1959 ワラビの自生にちなむ植物地名。中世の郷名に現れ、近世は中山道の宿名として一般化し市名に。初出は南北朝期の文書(貞治元・1362前後の郷名記事等)に「蕨」。宿名は慶長7(1602)年の宿駅制整備で確立。 蕨郷【14世紀中葉~】/蕨宿【江戸初~】
戸田市 16世紀 1966 渡津(船戸)・水門に通じる水際の地名系統。荒川の渡河点名から村・宿の呼称へ広がり、市名に継承。初出は戦国末~慶長期の河岸・渡船関係文書に「戸田」。 戸田【中世後期~】/戸田の渡し【江戸初~】
入間市 10世紀前半 1966 古代郡名「入間(いりま)」に由来。“入り込む間”の地形語源説がある。初出は『和名類聚抄』(10世紀前半)武蔵国「入間郡」。 入間郡【古代~】
朝霞市 1932 1967 朝香宮の「朝香」に瑞祥の「霞」を添えた創作地名。1932年に町名として採用され、のち市名へ。初出は昭和7(1932)年の公告に「朝霞町」。
志木市 10世紀前半 1970 『和名類聚抄』に見える「志木郷」を継承した古層地名。古代郷名が在郷町名を経て市名となる。初出は『和名類聚抄』(10世紀前半)「志木郷」。 志木郷【平安~】/志木宿【江戸~】
和光市 1955 1970 公募で生まれた瑞祥名「和光」。1955年に町名として採用され、市名に継承。初出は昭和30(1955)年の町名告示に「和光町」。
新座市 758 1970 奈良期に「新羅郡」から改称した「新座郡(にいくら)」に由来。郡名が近代に市名へ継承され、読みは後世「にいざ」に一般化。初出は『続日本紀』天平宝字2(758)年に「新座郡」改称記事。 新座郡(にいくら)【奈良~】
桶川市 1606 1970 “水が桶のように溜まる川”の見立ての地形名とされる。中山道の宿名として表記が固まり、市名に継承。初出は慶長年間の宿駅制文書(慶長11・1606頃)に「桶川宿」。 桶川宿【17世紀初頭~】
久喜市 15世紀 1971 小丘陵を指す「久木(くき)」が転じたとされる。城下名から宿名へ、1971年に市制。2010年新市発足後も名称継続。初出は室町期文書に「久喜」。 久喜【室町後期~】/久喜宿【江戸初~】
北本市 1604 1971 宿の移転後に残った本宿を北方と称した「北本宿」に由来。宿名が地域名として残り、市名に。初出は慶長9(1604)年頃の宿駅改編記事に「北本宿」。 北本宿【慶長9(1604)~】
八潮市 1956 1972 八條・八幡・潮止の三村の頭字を合わせた合成地名。1956年に村名として発足、のち市名に。初出は昭和31(1956)年の村名告示に「八潮村」。
富士見市 1956 1972 「富士が見える地」を示す公募名。村・町・市と同名で継承。初出は昭和31(1956)年の村名告示に「富士見村」。
三郷市 1956 1972 三村合併の「三」と古来の行政単位「郷」を合わせた新名。1956年に村として発足、町を経て1972年に市へ。初出は昭和31(1956)年の村名告示に「三郷村」。
蓮田市 1315 1972 湧水地に繁る蓮にちなむ古い植物地名。中世文書に「はす田」と見え、近世には上蓮田・下蓮田として村名が確定。初出は正和4(1315)年の記録に「蓮田」。 上蓮田/下蓮田【中世~江戸】
坂戸市 1582 1976 坂の関所・門を意味する「坂戸」に由来。中世の街道語が地名化し、昭和に市名へ。初出は天正10(1582)年頃の文書に「坂戸」。 坂戸【天正期~】
幸手市 1599 1986 古称「薩手ヶ島」からの転訛説や「狭手」地形説など諸説。地名用例は慶長4(1599)頃から見え、町名としての公称化は元禄15(1702)。初出は慶長年間の文書・宿駅資料に「幸手」。 幸手(幸手宿)【慶長期~】
鶴ヶ島市 1582 1991 島状の台地に鶴が舞い降りたという瑞祥伝承にちなむ(諸説あり)。村名・町名の継承を経て市名に。初出は天正10(1582)年頃の文書に「鶴ヶ島」。 鶴ヶ島【天正10(1582)~】
日高市 1955 1991 「日和田(山)」の「日」と旧郡名「高麗」の「高」を合わせた合成名。1955年に町名として採用、1991年に市名へ。初出は昭和30(1955)年の町名告示に「日高町」。
吉川市 1361 1996 葦(よし)の生える川=「葦川」を好字化した「吉川」とする説が有力。中世文書に早くから現れ、市名に継承。初出は南北朝期(康安元・1361頃)の文書に「吉川」。 吉川/吉河【南北朝~】
ふじみ野市 1993 2005 「富士見の野」を平仮名化した新名。1993年に駅名・地区名として先行し、2005年の合併で市名に採用。初出は平成5(1993)年の駅名制定に「ふじみ野」。
白岡市 1631 2012 「白く顕れる岡」などの景観伝承を背景に広まった呼称で、文献上の確実な初見は寛永8(1631)の白岡村検地帳。以後、近世を通じ村名として定着。初出は検地帳(1631)に「白岡村」。 白岡(村名)【江戸】
伊奈町 1590 1970 関東郡代・伊奈忠次の姓にちなむ領主系地名。陣屋所在地の呼称が近代の町名へ継承。初出は天正18(1590)年前後の領知安堵状等に「伊奈」。 伊奈【天正18(1590)~】
三芳町 12~13世紀 1970 歌枕「みよし野」を意識した瑞祥命名で、「芳しき三つの野」の意味合いも込める。近代合併時に採用。古形の地名用例は中世の「三芳」。初出は中世文書(鎌倉~南北朝期)に「三芳」。 三芳【中世~】
毛呂山町 1537 1959 古社「御諸(みもろ)」系の転訛地名とされる説がある。中世以来の呼称が近代に町名として整備。初出は天文6(1537)年頃の在地文書に「毛呂」。 毛呂【天文6(1537)~】
越生町 15世紀中期 1967 尾根を「越す」地形から「尾越し」→「おごせ」へ転訛したとされる。山間の街道語が地名化し、町名に。初出は室町中期の在地文書に「越生」。 越生【室町中期~】
滑川町 16世紀 1984 川床の滑らかな瀬を特徴づけた地形名に由来。戦国期から村名・小名に見え、近代に町名へ。初出は永禄年間の文書(1558~70)に「滑川」。 滑川【戦国~】
嵐山町 1928 1967 都幾川渓谷の景観をうたって昭和初期に創出された観光名「武蔵嵐山」に由来。観光呼称が町名として採用。初出は昭和3(1928)年の観光命名記事に「武蔵嵐山」。
小川町 14世紀初 1889 谷戸の小河川沿いの集落名に由来。中世の荘名から近世の町名へ連なり、町制で正式化。初出は鎌倉末~南北朝初期の文書に「小川」。 小川(庄)【鎌倉末~】/小川町【近世~】
川島町 1567 1972 荒川・市野川に囲まれた島状台地を示す「川島」に由来。地形呼称が町名化。初出は永禄10(1567)年の文書に「川島」。 川島【永禄10(1567)~】
吉見町 10世紀前半 1972 「よく見渡せる丘」にちなむ視界地名で、古形「横見」を好字化して「吉見」とした。郷名から村名を経て町名に。初出は『和名類聚抄』(10世紀前半)武蔵国「横見郡」。 横見→吉見【奈良~平安】
鳩山町 1570 1982 鳩の群飛する丘陵景観にちなむ瑞祥地名とされ、在地氏由来説もある。近世の村名が昭和に町名へ。初出は元亀元(1570)年前後の文書に「鳩山」。 鳩山【元亀元(1570)~】
ときがわ町 1254 2006 河川名「都幾川」に由来。2006年、都幾川村と玉川村の合併で平仮名表記の町名として再編採用。初出は建長6(1254)年頃の社寺文書に「都幾川」。 都幾川【鎌倉中期~】
横瀬町 13世紀 1984 川の瀬の横を通る道・渡渉点にちなむ地形名。秩父の門前集落名が村名・町名へ継承。初出は鎌倉期の文書に「横瀬」。 横瀬【鎌倉~】
皆野町 1589 1928 「皆が集う野」という語構成に基づく地名。村名期から近代に町名として固定。初出は天正17(1589)年頃の文書に「皆野」。 皆野【天正17(1589)~】
長瀞町 1911 1972 淀み=瀞が長く連なる渓谷の地形にちなむ。明治末の観光名が広まり、戦後に行政名化。初出は明治44(1911)年の駅名・観光資料に「長瀞」。
小鹿野町 平安期 2005 小鹿の多い野にちなむ古い動物地名。古い郷・荘名が近代に継承され現町名に。初出は平安期の郷・荘関係記事に「小鹿野」。 小鹿野【平安~中世】
東秩父村 1889 1889 秩父の東方を示す方位地名。村制施行に際し郡名+方位を採用。初出は明治22(1889)年の村制施行告示に「東秩父村」。
美里町 1954 1984 創作の瑞祥名「美しい里」に由来。昭和の合併で村名に採用され、のち町名へ。初出は昭和29(1954)年の村名告示に「美里村」。
神川町 1561 2006 河川名「神流川(かんながわ)」、すなわち「神の川」に由来。旧町名を基礎に合併後も名称継承。初出は永禄4(1561)年頃の記録に「神流川・神川」。 神川(神流川)【永禄4(1561)~】
上里町 1954 1971 郡域の上(北)方にある里を指す方位地名。1954年に村名で採用、1971年に町名へ。初出は昭和29(1954)年の村名告示に「上里村」。 上里【昭和29(1954)~】
寄居町 16世紀後半 1954 城外で人々が「寄り居」した在郷の集落配置にちなむ。在郷町名から村名を経て町名に。初出は天正期(16世紀後半)の文書に「寄居」。 寄居【天正期~】
宮代町 15世紀 1981 神社の御代を意味する「宮の代」にちなむ尊称地名。村名期の読み・表記を踏襲して町名に。初出は室町期の在地文書に「宮代」。 宮代【室町~】
杉戸町 1616 1894 「杉板の戸」に由来する説と、堤の土戸=「土手(ど)」由来説が並立。元和2(1616)に日光道中の宿として開宿。初出は『日光道中宿村大概帳』等に「杉戸宿」。 杉戸宿【元和2(1616)~】
松伏町 17世紀後半 1983 堤(ぶし)に植えられた松、または洪水伝承の「伏せ松」にちなむ新田地名。江戸前期の新田名が町名に。初出は寛文~延宝期の新田検地・名寄帳(17世紀後半)に「松伏(新田)」。 松伏(新田)【江戸前期~】

地名の由来

嚮明而治
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