新潟県の地名

自治体 初見年 正式採用年 名称の由来 主な旧称(時期)
新潟市 1520年頃 1889 砂州や潟の発達を背景に「新しい潟(にいがた)」と解される。16世紀に川湊の呼称として広まり、近世に湊町名として定着した。初出は永正17(1520)年の記録で「新潟」。 新潟(新潟湊)【戦国末~江戸】
長岡市 17世紀前期 1906 城下建設期に河岸段丘の“長い岡”にちなむ地名を採用。元和期に城下が整い町名として定着した。初出は江戸初の城下関連史料で「長岡」。 長岡(城下)【江戸前期~】
三条市 16世紀中頃 1934 条里の「条」に由来する地割語が地名化したとみる説が有力。中世末に「三條」の記載が見え、近世の町場形成とともに定着。初出は戦国期で「三條」。 三條/三条【中世末~】
柏崎市 16世紀後半 1940 「柏の木の岬(崎)」にちなむとされる。中世末に湊・町名として見え、近世に宿駅名としても広まった。初出は天正期の文書で「柏崎」。 柏崎【戦国~江戸】
新発田市 1570年代 1947 開発新田=「新墾田(にいはつた)」に由来し「しばた」へ転じたとする説などがある。城下の成立とともに表記が定着した。初出は天正期の城下関係史料で「新発田」。 新発田(城下)【安土桃山~江戸】
小千谷市 10世紀前半 1954 古代郷名「千屋」に由来し、その一部を示す呼称として「小千谷」が展開。中世~近世を経て地名が定着した。初出は『和名類聚抄』の郷名で「千屋」。 千屋(郷)→小千谷【平安~中世】
加茂市 12–13世紀 1954 賀茂(加茂)信仰の勧請にちなむ地名系統。中世の社記・文書に地名が現れ、近世に町名として整った。初出は中世社記で「賀茂」。 賀茂/加茂【中世~】
十日町市 17世紀初頭 1954 「十の日に立つ市(十日市)」に由来。近世初頭に宿場・市庭が整い「十日町」が固着した。初出は近世初期の町名で「十日町」。 十日町【江戸初~】
見附市 1519年 1954 街道の番所・見張り場「見附」にちなむ。戦国期の文書に早くから現れ、近世も継続。初出は永正・永禄期の文書で「見附/見付」。 見附・見付【戦国~江戸】
村上市 16世紀前半 1954 丘陵上の集落にちなむとされ、室町~戦国期に城下名として確立。初出は天文~永禄期の城下関係文書で「村上」。 村上(荘・城下)【中世~】
燕市 1497年 1954 古形は「津波目(つばめ)」で中世文書に初見。のち表記が整い「燕」が一般化。初出は明応6(1497)年の譲状で「津波目」。 津波目→燕【室町後期~江戸】
糸魚川市 15世紀頃 1954 川名・湊名に由来。室町期文書に地名用例が見え、近世に町名として定着。初出は中世の在地文書で「糸魚川」。 糸魚川【中世~】
妙高市 13世紀頃 2005 山名「妙高(妙高山)」に由来。中世の縁起・寺社文書に山名が見え、近世に地名としても広域に浸透した。初出は中世縁起類で「妙高」。 妙高(山名)【中世~】
五泉市 15世紀頃 2006 「五つの泉」に由来する伝承が広く、湧水に富む扇状地の環境と符合する。中世の在地名に見え、近世に町場名として定着。初出は中世末の地名記事で「五泉」。 五泉【中世~】
上越市 20世紀前半 1971 広域区分「上越」(上方の越後)に由来。高田・直江津の合併時に地域呼称を新市名へ採用。初出は近代の行政・交通資料に広域名「上越」。
阿賀野市 17世紀中葉 2004 基幹河川「阿賀野川」および古い郡名「阿賀野」にちなむ。川名は近世絵図などに広く見え、地域通称として根づいた。初出は近世の絵図等で「阿賀野川」。 (川名)阿賀野川【近世~】
佐渡市 8世紀初頭 2004 島名・国名「佐渡」に由来。奈良時代の史書に国名が見え、中世以降は島名としても定着。初出は古代の国名記事で「佐渡」。 佐渡国→佐渡【古代~】
魚沼市 10世紀前半 2004 古代郡名「魚沼」に由来。信濃川上流域の水系・湿地に根ざした広域地名が後世も継承。初出は『和名類聚抄』の郡名で「魚沼」。 魚沼(郡名)【古代~】
南魚沼市 1879年 2004 魚沼の南部を示す近代の行政呼称に由来。郡分立で「南魚沼郡」が成立し、呼称が普及した。初出は郡区町村編制法施行期の行政区画名で「南魚沼郡」。 南魚沼郡【1879~】
胎内市 中世 2005 市名は河川名「胎内川」に由来。中世~近世の絵図・記録に川名の古形が見え、近代に地名として定着した。初出は中世の絵図・地誌に見える川名で「胎内川」。 胎内川(川名)【中世~】
聖籠町 1655年頃 1977 山名や小字に見える「聖籠」にちなむ。近世の新田開発・水路開削とともに地名が広域に定着した。初出は江戸前期の新田・水路史料に見える「聖籠」。 聖籠(新田名)【江戸前期~】
田上町 15世紀頃 1973 段丘縁の“田の上”の地形語に由来。中世文書に地名が現れ、近世村名として定着した。初出は室町期の在地文書で「田上」。 田上【中世~】
阿賀町 17世紀中葉 2005 大河「阿賀(阿賀野)川」の水系名に由来。近世絵図・地誌に川名が広く見え、地域通称として普及した。初出は正保国絵図などの近世絵図で「阿賀(野)川」。 (川名)阿賀(野)川【近世~】
出雲崎町 17世紀初頭 1889 中世以来の湊名「出雲崎」に由来(語源未詳)。江戸初期には佐渡金銀の陸揚港・北国街道の宿駅として著名となり、町名が広く定着。初出は近世初頭の湊・代官所関係記録で「出雲崎」。 出雲崎【中世~】
湯沢町 17世紀初頭 1955 温泉(湯)の湧く沢にちなむ地形地名。三国街道の宿場として近世に繁栄し、近代に町名へ整備された。初出は近世初期の街道・温泉記録で「湯沢」。 湯沢【近世~】
津南町 近代 1955 「津(渡し・川の出入口)の南」、すなわち清津川以南の地域呼称に由来。近代以降に用例が定着し、町名として採用。初出は近代の地域呼称記事で「津南」。 (地域呼称)津南【近代】
弥彦村 833年 1889 式内社「彌彦(伊夜比古)神社」に由来。古代の社名が史書・縁起に見え、門前の地名として中世以降に広まった。初出は『続日本後紀』の社号記事で「伊夜比古」。 彌彦・弥彦【古代~】
関川村 16~17世紀初頭 1889 関所(口留番所)と川筋にちなむ名。慶長~江戸前期に関の設置・宿駅化が進み、地名が定着した。初出は慶長期の郡絵図・番所記録で「関川/関口」。 関川口・下関【慶長期~】
粟島浦村 18–19世紀 1909 島名「粟島」に由来し、浦(入江)集落を指す。江戸後期の海運・海保史料に島名が頻出する。初出は近世の海運史料で「粟島」。 粟島【近世~】
刈羽村 1313年 1889 古代の郡名「刈羽(苅羽)」に由来。中世・近世を通じ在地名として継承され、近代の村名となった。初出は正和2(1313)年の文書で「刈羽郷」。 刈羽郷→刈羽郡【14世紀~】

地名の由来

嚮明而治
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