宮城県の地名

自治体 初見年 正式採用年 名称の由来 主な旧称(時期)
仙台市1601(慶長5)1889中世の在地名「千代」を、伊達政宗が城下創建時に「仙臺」へ改称したことに由来。改称は慶長5年(旧暦12月24日付の古文書)に見え、のち表記は「仙台」に整う。千代→仙臺【慶長期】
石巻市15891933北上川河口の湊町名に由来。語義は「石の巻(石が巻く磯)」など諸説。戦国末の文書に「石巻」が現れ、近世の港町名として定着。石巻(湊)【中世末〜】
塩竈市9世紀前半1941地名は鹽竈神社に由来。9世紀前半の『弘仁式主税帳』に「鹽竈神祭料一萬束」と見え、古層の社名・湊名が近代に市名化。鹽竈/塩竈【古代〜】
気仙沼市10世紀(気仙)/17世紀初頭(気仙沼)1953広域名「気仙」(『延喜式』の計仙麻神社ほか)と、河口の地形を合わせた湊名に由来。江戸初頭に気仙沼が一般化し、市名へ。気仙(広域)/気仙沼(湊)【近世】
白石市16世紀末1954白色の石灰岩・白石川の名に通じる在地名。城郭名白石城の成立で城下名として定着し、近代に市名へ。白石(城下)【近世】
名取市10世紀前半1958古代郡名名取に由来(『和名類聚抄』)。語義は河川の名取=流路改新など地形語に通じるとされる。郡名が近代の市名に継承。名取郡【古代〜】
角田市16世紀末1958城名角田城・小地形名に由来。「角の田」「岬状の田」などの地形解釈が伝わる。戦国末〜江戸初期に城下名として普及。角田(城下)【近世】
多賀城市7241971奈良時代に陸奥国の国府城柵多賀城が築かれたことに由来。創建は神亀元年(724)で、古代以来の城柵名を近代に市名化。多賀城(城柵)【奈良〜】
岩沼市10世紀前半1971古代の岩沼郷(『和名類聚抄』)に由来。台地と低地の接点に発達した宿場町名が近代に市名へ。岩沼(宿)【近世】
登米市10世紀前半2005古代郡名登米(『和名類聚抄』)に由来。広域の歴史的呼称を平成合併で市名として再生。登米郡【古代〜】
栗原市10世紀前半2005古代郡名栗原に由来(『和名類聚抄』)。郡名・地域名の伝統を継いで現市名に採用。栗原郡【古代〜】
東松島市12世紀2005景勝松島の東方に位置することからの方位合成名。古くから「松島」の名が和歌・紀行に見え、平成合併で市名化。矢本町・鳴瀬町(旧)【〜2005】
大崎市10世紀前半2006古代郡名大崎に由来。奥州合戦後の大崎氏の本拠としても著名で、平成に旧郡域の中心市名として採用。大崎郡【古代〜】
富谷市1604(慶長9)2016奥州街道の富谷宿にちなむ。宿場成立は慶長9(1604)頃で、近世の宿名が現代に市名化。富谷宿【近世】/富谷町【〜2016】
蔵王町平安末〜中世1955山名蔵王(蔵王権現信仰・刈田嶺神社)に由来。山麓の郷名・村名が昭和の合併で町名に。刈田郡内の旧村名【〜1955】
七ヶ宿町17世紀初頭1957羽州街道の七つの宿にちなむ街道呼称に由来。江戸初期に「七ヶ宿街道」が整備され、地名化。七ヶ宿(在郷・宿駅)【近世】
大河原町17世紀1956河川の広い河原地形にちなむ和名。白石川流域の宿場・市場の町名として定着。大河原(宿・在郷)【近世】
村田町14〜15世紀1954“むら=邑”と“田”の結合による素朴な地名系統。古い在郷町の呼称を継承。村田(在郷町)【近世】
柴田町15〜16世紀1956葭・柴の繁る縁辺地形にちなむとされ、在地氏名との関わりを指摘する説もある。旧船岡町と周辺合併で現町に。船岡町ほか(旧)【〜1956】
川崎町17世紀1955渡津・水門に通じる川崎系の水辺地名。阿武隈川の渡河点名が町名に。川崎(在郷)【近世】
丸森町14〜15世紀1954“丸い森・丘”の景観にちなむ在地名。阿武隈川舟運の要地として在郷町化。丸森(在郷)【近世】
松島町12世紀1928海上に点在する小島の景観=松島に由来。中世以来、歌枕・景勝地名として著名。宮城郡松島村→町【〜1928】
七ヶ浜町17世紀1959砂州・浜が連なる景観からの総称七ヶ浜に由来。沿岸集落の連合名が町名化。宮城郡内の旧村連合【〜1959】
利府町17世紀1967語源未詳(地形・在地語の諸説)。仙台藩の蔵入地として発展し、昭和に町制施行。利府村【〜1967】
大和町17世紀1955合併時に公募された瑞祥名。黒川郡の旧村を統合し「大いなる和」を掲げた新称。吉岡町ほか(旧)【〜1955】
大郷町17世紀1955広い郷(さと)=大郷の意を表す合併新称。鳴瀬川下流の沖積地に展開。粕川村ほか(旧)【〜1955】
大衡村17世紀1889土地の“衡(はかり)=バランス・中心”を意識したとされる近世村名を継承。県内唯一の大衡(村)【近世〜】
涌谷町10世紀前半1954“湧く谷”にちなむ古い地名系統。古代の条里・開発と関連づける説がある。涌谷(在郷)【近世】
美里町20062006小牛田町と南郷町の合併時に採用した瑞祥名「美しい里」。広域の穀倉地帯イメージを込める。小牛田町/南郷町【〜2006】
加美町20032003中新田町・小野田町・宮崎町の合併時に採用。豊饒の「加美」を掲げた新称。中新田町/小野田町/宮崎町【〜2003】
色麻町15〜16世紀1954古形は「しかま」。語源はアイヌ語起源説・染色伝承など諸説。中世以来の在地名を継承。色麻(郷・村)【中世〜】
女川町17世紀1956入江(浦)の女神伝承・海の守護にちなむ説、地形語の転訛説などが伝わる。港町名が町名に。女川(浦)【近世】
南三陸町20052005志津川町と歌津町の合併時に採用した広域名「南三陸」。三陸沿岸の南部に位置することから。志津川町/歌津町【〜2005】
亘理町17世紀1955“わたり(渡り)”に通じる海岸の渡津地名。伊達氏一門の亘理氏の拠点としても知られる。亘理(郷)【中世〜】
山元町19551955山裾の(麓)を表す合成名。坂元村と山下村の合併時に採用。坂元村/山下村【〜1955】

古代の社・郡名が現代の市名に残る例

宮城県では、多賀城(724創建)鹽竈神社(9世紀前半の史料)のように古代の城柵・社名が直接現在の市名に継承された例のほか、大崎・栗原・名取・登米・岩沼など『和名類聚抄』(10世紀前半)に見える郡・郷名が広域名として残り、平成の合併で再び市名として採用された例が目立ちます。

※「初見年」は最古級の確実な記録年代(郡名・社名等を含む)を、
「正式採用年」は現名称での市制・町制・新設合併などの発足年を示します。

地名の由来

嚮明而治
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