岩手県33市町村の地名

自治体 初見年 正式採用年 名称の由来 主な旧称(時期)
盛岡市16061889南部氏が築いた盛岡城の城下名。中世の在地名は不来方(こずかた)で、近世初頭に「盛岡」へ整字・定着。「盛る岡(高まりの台地)」の地形解釈が通説。
初出は慶長11(1606)年8月17日付の、南部利直が八戸直政に宛てた書状にみえる「盛岡」
不来方【中世】/盛岡城下【17世紀〜】
宮古市16151941湾奥の良港に鎮座する社(宮)にちなむ説、あるいは港(みなと)が音変して「みやこ」となったとする説が伝わる。古くから海運拠点として栄え、近世に町名が固着。
初出は元和元(1615)年頃の「宮古湊」
宮古(湊)【中世〜】
大船渡市17世紀初頭1952大船の渡し」=大きな船の出入りする入り江・港にちなむ地名。湾名・港名が町名となり市名に継承。
初出は17世紀初頭の「大船渡」
大船渡(湊)【近世〜】
花巻市15911948北上川・豊沢川の合流域で、川筋が帯状に巻く地形にちなむ説、在地氏名に由来する説などがある。近世には城下・宿場として「花巻」が広まった。
初出は天正19(1591)年前後の「花巻」
花巻(城下・宿)【近世】
北上市16041991県の主流北上川の流域名に由来。近代以降、広域の中心として成長し、市名に採用。
初出は慶長9(1604)年頃の記録にみえる「北上」
北上(町)【近代】/黒沢尻【近世】
久慈市15〜16世紀1954河口の砂嘴・入り江の地形にちなむとされ、アイヌ語由来を示す諸説(湾・入り江を表す語根など)もある。港町名が近代に市名化。
初出は中世末〜近世初頭の「久慈」
久慈(湊・在郷町)【中世〜】
遠野市15〜16世紀1954山地に囲まれた盆地の奥の野(遠い野)を指すとされる地形名。近世に城下・在郷町として整い、近代に市制。
初出は中世末〜近世初頭の「遠野」
遠野(郷/城下)【中世〜】
一関市17世紀初頭2005奥州街道の関(せき)にちなむ宿駅名「一ノ関」が由来。早くから交通の要地で、藩政期に城下・宿名として定着。2005年に周辺と大合併して現市に。
初出は近世初頭の「一ノ関」
一ノ関(宿)【近世】
陸前高田市17世紀初頭1955古国名陸前の国域内にある高田(砂州上の新田開発地・高まりの田)にちなむ合成。近世の郷名・浜名が近代に市名となった。
初出は近世初頭の「高田」
高田(浜)【近世】
釜石市16011937湾口近くの釜形の岩(釜石)にちなむ地名。近世の漁港・鉱山開発を経て、近代の製鉄都市として発展し市制へ。
初出は慶長6(1601)年頃の「釜石邑」
釜石(湊)【近世】
二戸市16世紀後半1972南部領内の行政・防衛の単位「戸(のへ)」のひとつに由来(詳細は下のコラム)。「二番目の戸」の中心地として中世末から名が見え、近代に市名化。
初出は16世紀後半の「二戸」
二戸(城下・在郷町)【中世末〜】
八幡平市18世紀2005山名八幡平(はちまんたい)に由来。八幡信仰と関連づく説があり、古くから山岳呼称として広まった名を平成の合併で市名に採用。
初出は近世の山名記録「八幡平」
(山名)八幡平【近世以降】/西根町/松尾村/安代町【〜2005】
奥州市9世紀頃2006古来、東北を総称した広域名奥州に由来。水沢・江刺・前沢・胆沢・衣川の合併時に歴史的地域名を市名として再生。
初出は古代の広域呼称「奥州」
奥州(広域名)【古代〜】/水沢市/江刺市/前沢町/胆沢町/衣川村【〜2006】
滝沢市15〜16世紀2014滝のある沢」という地形を表す和名。近世の村名を経て、平成に入り人口増で市制施行。
初出は中世末〜近世初頭の「滝沢」
滝沢村【近世〜2014】
雫石町17世紀初頭1955基幹河川雫石川と、滴る水と巨石にまつわる在地伝承にちなむ名とされる。川名・郷名が町名に継承。
初出は近世初頭の「雫石」
雫石(郷)【近世〜】
葛巻町15〜16世紀1955蔓植物クズ(葛)が谷に巻くさまを映したとする地名説、谷が巻く地形説など。中世以来の在地名が近代の町名へ。
初出は中世末〜近世初頭の「葛巻」
葛巻(郷)【中世〜】
岩手町14〜15世紀1955県名・山名に通じる岩手の古称に由来。三ツ石神社の“鬼の手形”伝承など、岩に神威が宿る在地信仰を背景に広まった名を町名に採用。
初出は中世の「岩手」
岩手(郷)【中世〜】
紫波町8031955表記は近世以降の好字紫波だが、古くは志波と書き、延暦期に国境城柵志波城が置かれた。平地に“しわ(畝・しわ状の地形)”が走る意に通じるとされる。
初出は延暦22(803)年の志波城造営記事にみえる「志波」
志波→紫波【古代〜】
矢巾町14〜15世紀1955台地の端(はば)・川沿いの縁辺を指す在地語に、武具のを重ねた表記が定着したとされる。扇状地の縁に立地する地勢と親和。
初出は中世末〜近世初頭の「矢巾」
矢巾(村)【近世〜】
西和賀町17世紀初頭2005和賀郡西部に位置することからの合成。湯田・沢内の合併時に採用。
初出は近世初頭の郡名「和賀」(「西和賀」としての初出は平成17〔2005〕年)。
湯田町/沢内村【〜2005】
金ケ崎町12世紀1955川岸の岬状地形=にちなむ呼称に、産金・金色を連想させるの字を充てた好字とされる。中世からの在地名が町名に。
初出は中世の「金ヶ崎」
金ヶ崎【中世〜】
平泉町12世紀初頭1958平らな土地に湧く泉”の意に通じ、奥州藤原氏の本拠として都城化。地名は中世史を通じ著名。
初出は12世紀初頭の史料にみえる「平泉」(藤原清衡が本拠を平泉に移す時期)。
平泉(伽藍・都市)【中世】
住田町17世紀初頭1955“人のむ耕地=”の素朴な和名。気仙川流域の開発とともに郷名が定着し、近代に町名化。
初出は近世初頭の「住田」
住田(郷)【近世〜】
大槌町17世紀初頭1955町名は大槌川にちなむ。川名は河口にある槌形の岩・岬景観に由来するといわれ、港町名として近世に普及。
初出は近世初頭の「大槌(湊)」
大槌(湊)【近世】
山田町15〜16世紀1951に抱かれた”を表す素朴な地名系統。湾奥の良港に面し、近世に町場形成が進む。
初出は中世末〜近世初頭の「山田(浦)」
山田(浦)【近世】
岩泉町15〜16世紀1956石灰岩台地に湧くにちなむ名。名勝龍泉洞に象徴される“岩の泉”の景観が地名の背景。
初出は中世末〜近世初頭の「岩泉」
岩泉(郷)【中世〜】
田野畑村15〜16世紀1889畔(はた)”=段丘上の耕地縁にちなむ素朴な和名。近世の村名を継承。
初出は中世末〜近世初頭の「田野畑」
田野畑(村)【近世〜】
普代村17世紀初頭1889語源は諸説。年貢請・代納に由来する説、アイヌ語起源を指摘する説などがあるが定説化していない。海岸段丘上の集落名が村名に。
初出は近世初頭の「普代」
普代(村)【近世〜】
洋野町20062006種市町大野村の合併時に、公募で「海洋の野」を表す新名を採用。広い海原と高原の“野”を併せ持つ地勢を言い表す。
初出は平成18(2006)年の新設合併名「洋野町」
種市町/大野村【〜2006】
軽米町15〜16世紀1955古形は「かるまい」。刈り取りの早い軽い米に由来する説、交易地の名に由来する説、アイヌ語起源説など諸説が伝わる。在郷町名が近代の町名へ。
初出は中世末〜近世初頭の「軽米」
軽米(在郷町)【中世〜】
九戸村16世紀後半1889南部領内の行政・防衛単位「戸(のへ)」に由来(詳細は下のコラム)。九つある「戸」のひとつとしての呼称が村名に定着。
初出は16世紀後半の「九戸」
九戸(郷)【中世末〜】
野田村17世紀初頭1889”=海岸段丘の畑作地にちなむ素朴な和名。塩づくりと海運の寄港地としても知られた在郷村名が近代に継承。
初出は近世初頭の「野田」
野田(浦・村)【近世】
一戸町16世紀後半1955「戸(のへ)」の系列名に由来(詳細は下のコラム)。一番目の戸の中心としての呼称が地名化し、近代に町名へ。
初出は16世紀後半の「一戸」
一戸(郷)【中世末〜】

岩手の「戸(のへ)」地名について

「一戸・二戸・九戸」などの『戸(のへ)』は、南部領北辺で中世末〜近世初頭に整理された在地支配の単位名に由来するとされます。
主に次の二つの系統で説明されます。

現在の岩手県には一戸町・二戸市・九戸村が残り、三戸・五戸・七戸などは県境北側(青森県)に継承されています。地名は広域行政と交通の歴史を今に伝えるものです。

地名の由来

嚮明而治
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