自治体 | 初見年 | 正式採用年 | 名称の由来 | 主な旧称(時期) |
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札幌市 | 1700 | 1922 | 語源はアイヌ語の「サッ・ポロ(乾いた・大きい)」または「サリ・ポロ・ペッ(葦原が・広い・川)」とされ、豊平川流域の地形に由来する。近世末〜幕末に地名が記録化され、近代の本府設置で漢字表記「札幌」が定着。初出は『元禄御国絵図』(1700)に「しやつほろ」系の記載。 | サッポロペツ【18〜19世紀】 |
函館市 | 1454 | 1922 | 室町期、河野政通が宇須岸に築いた館が箱形に見えたことから「箱館」と称したのが起源。のち明治初に公文書表記が「函館」へ改められた。初出は享徳3(1454)年頃の館築造記事。 | 箱館【15世紀半ば〜1869頃】 |
小樽市 | 1700 | 1922 | アイヌ語「オタルナイ/オ・タル・ウン・ナイ(砂浜・中洲/浜の間の川 等)」に由来。河口の地形を表す名が和字化され、近代に市名として定着。初出は『元禄御国絵図』(1700)に「おたるない」。 | オタルナイ/小樽内【18〜19世紀】 |
旭川市 | 1890 | 1922 | 屯田兵村の創設に際し、旭日や大雪山系の景観を意識して「旭川」と命名。上川盆地の中心都市名として近代に整備。初出は明治23(1890)年の村名設定期記録。 | — |
室蘭市 | 1859 | 1922 | アイヌ語 mo-ru-e-ran-i(小さな下り坂のある所/湾に下り入る所 等)に由来。噴火湾の湾入地形を示す名が和字化して「室蘭」となる。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に「モロラン」。 | モルエラン/モロラン【19世紀中葉〜】 |
釧路市 | 1644 | 1922 | 「釧路」はアイヌ語起源(クスリ/クシュル 等の説)。河口・湿地の景観や温泉にちなむ音が和字化して定着。初出は『正保御国絵図』(1644頃)に「クスリ」。 | クスリ【17世紀中葉〜】 |
帯広市 | 1859 | 1933 | 近隣のアイヌ語「オベリベリ(川岸の崖・湾曲部 等)」にちなむ音から、近代に漢字地名「帯広」を創作・採用。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に「オヘリヘリ(オベリベリ)」。 | オベリベリ【19世紀中葉〜】 |
北見市 | 1869 | 2006 | 明治2(1869)年に設けられた広域区分「北見国」に由来。地域呼称が後世の都市名にも継承。初出は明治2(1869)の国郡区画設置文書に「北見国」。 | 北見国【1869〜】 |
夕張市 | 1859 | 1943 | アイヌ語「ユーパロ(鉱泉のある所 等)」に由来とされ、川名・地名が和字化して「夕張」に。炭鉱開発期に都市名として定着。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に「ユウハロ」。 | ユーパロ【19世紀中葉〜】 |
岩見沢市 | 1878 | 1943 | 語源は地形語の合成(岩の見える沢)とされる。鉄道開通とともに集落名が広がり、近代に市名化。初出は明治期の村名記事(1890年代)。 | — |
網走市 | 1859 | 1947 | アイヌ語「アパシリ(入口・見張り場のある所 等)」に由来とされ、音写の「アバシリ」が和字化して「網走」に。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に「アバシリ」。 | アバシリ【19世紀中葉〜】 |
留萌市 | 1859 | 1947 | アイヌ語「ルルモッペ(潮の道/静かな波の所 等)」に由来とされ、音写形が和字化して「留萌」に。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に「ルルモッペ」。 | ルルモッペ【19世紀中葉〜】 |
苫小牧市 | 1859 | 1948 | アイヌ語「トマコマイ(沼の奥の川 など)」に由来。港湾の開発とともに地名が定着。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に「トマコマイ」。 | トマコマイ【19世紀中葉〜】 |
稚内市 | 1859 | 1949 | 語源はアイヌ語 yam-wakka-nay(冷たい水の出る沢)系に由来し、湧水の川を指す地名が港名・市名へ。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ワッカナイ【19世紀中葉〜】 |
美唄市 | 1859 | 1950 | アイヌ語「ピパオイ(カラス貝の多い所)」に由来とされ、音写が和字化して「美唄」に。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に「ピパオイ」。 | ピパオイ【19世紀中葉〜】 |
芦別市 | 1859 | 1964 | アイヌ語「アシベツ(葦の川)」に由来。川名から地域名へ広がり、近代に市名化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | アシベツ【19世紀中葉〜】 |
江別市 | 1859 | 1954 | アイヌ語の川名(エベツ系)に由来とされ、石狩川の支流地形を背景に地名化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に「エベツ」。 | エベツ【19世紀中葉〜】 |
赤平市 | 1890 | 1963 | 川岸の赤色の崖・平坦面を指す和名系の地形地名とされる。炭鉱開発とともに町名から市名へ。初出は明治期の村名記事(1890年代)。 | — |
紋別市 | 1859 | 1954 | アイヌ語「モンベツ(小さな川)」に由来。流氷の港として知られ、和字表記が定着。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | モンベツ【19世紀中葉〜】 |
士別市 | 1859 | 2004 | アイヌ語「シベツ(大きい川)」に由来。上川地方の河川地形にちなむ名が和字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | シベツ【19世紀中葉〜】 |
名寄市 | 1859 | 2006 | アイヌ語「ナイオロ(川のところ)」に由来。盆地の中心地名として広まり、近代に都市名へ。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ナイオロ【19世紀中葉〜】 |
三笠市 | 1957 | 1957 | 古典の雅称「三笠」にちなむ近代の命名。幌内・奔別など炭鉱集落の統合により市名として採用。初出は昭和32(1957)年の市制施行時の命名。 | — |
根室市 | 1786 | 1957 | アイヌ語「ニムオロ(樹木の多い所 等)」に由来。江戸期の場所請負時代から港名として通用。初出は『東蝦夷地沿海日記』(1786)に「ネムロ/ニムオロ」。 | ニムオロ【18世紀後期〜】 |
千歳市 | 1869 | 1958 | 湖名「シコツ」の地に、瑞祥の和名「千歳」を与えた近代命名。初出は明治2(1869)年の開拓使による命名記録に「千歳」。 | — |
滝川市 | 1859 | 1958 | 滝のある川(アイヌ語の意の訳)にちなむ。石狩川水運・鉄道の要地として発展。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | — |
砂川市 | 1859 | 1958 | 砂の多い川(アイヌ語の意の訳)にちなむ。場所名としての用例があり、開拓期に定着。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | 砂川(場所)【幕末】 |
歌志内市 | 1859 | 1958 | アイヌ語「ウタシナイ(採る所の川/砂金の川 等)」に由来。炭鉱の発達で市制へ。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ウタシナイ【19世紀中葉〜】 |
深川市 | 1879 | 1963 | 深い川筋の地形にちなむ和名。石狩川流域の米作地として発達。初出は明治12(1879)年前後の村名・駅名記事に「深川」。 | — |
富良野市 | 1859 | 1966 | アイヌ語「フラヌイ(においのする湿地 等)」に由来。盆地の中心地名として和字化・定着。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | フラヌイ【19世紀中葉〜】 |
登別市 | 1859 | 1970 | アイヌ語「ヌプルペツ(濁り川)」などに由来とされ、温泉の地として和字化された「登別」が定着。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に「ノホリベツ」。 | ノボリベツ【19世紀中葉〜】 |
恵庭市 | 1859 | 1970 | アイヌ語(エエニワ系)に由来とされる地名を和字化。「庭」の字は瑞祥。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | エニワ【19世紀中葉〜】 |
北広島市 | 1898 | 1996 | 入植者の出身地「広島」にちなむ移民地名で、のち方位「北」を冠して市名化。初出は明治31(1898)年の「広島村」設置。 | 広島村【1898〜】 |
石狩市 | 1644 | 1996 | 大河「石狩川」に由来。アイヌ語「イシカリペツ(曲がりくねる川)」の和字化に位置づけられる。初出は『正保御国絵図』(1644頃)に「イシカリ」。 | イシカリ【17世紀中葉〜】 |
北斗市 | 2006 | 2006 | 2006年の新設合併に伴う公募・選定の新名称。北の地に輝く北斗を意匠化。初出は平成18(2006)年の市発足時に「北斗市」。 | — |
伊達市 | 1870 | 1972 | 亘理伊達家の移住・開拓に由来する領主系地名。明治の入植地名が現代の市名に継承。初出は明治3(1870)年前後の「伊達村」設置記事。 | 伊達村【明治前期〜】 |
当別町 | 1824 | 1950 | アイヌ語「トウ・ペツ(to-pet:湖・川)」に由来。川名が集落名となり近代に和字化して定着。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)に「トウペツ」。 | トウペツ【19世紀前期〜】 |
新篠津村 | 1971 | 1971 | 旧「篠津」からの分立に伴う近代命名で、「新」を冠した行政地名。初出は昭和46(1971)の村発足時公示。 | 篠津【近世〜】 |
松前町 | 1644 | 1954 | 城下名に由来する和名。蝦夷地の南端の政治・交易拠点として近世に定着。初出は『正保御国絵図』(1644頃)に「松前」。 | 松前【近世〜】 |
福島町 | 1859 | 1944 | 瑞祥の和名による近代の行政地名。初出は幕末の地図群(1859)に周辺地名の記載が見られ、町名としては昭和期に成立。 | — |
知内町 | 1824 | 1944 | アイヌ語「シリ・ナイ(siri-nay:山の沢)」に由来。谷筋の集落名が和字化して定着。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | シリナイ【19世紀前期〜】 |
木古内町 | 1824 | 1942 | アイヌ語「キ・コ・ナイ(木の多い沢 など)」の音写とされる。河谷集落の名が和字化して定着。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | キコナイ【19世紀前期〜】 |
七飯町 | 1800 | 1901 | 由来は在地伝承の和名説に加え、アイヌ語 nam-nay/nuan-nuy(冷たい谷川/豊かな沢)に比定する説もある。近世末の村名が近代に町名として整備。初出は19世紀初頭の村名記録。 | — |
鹿部町 | 1859 | 1902 | アイヌ語 sikerpe(キハダの樹皮)に由来する地名群の音写とされ、河川名が町名化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に「シカンベツ」。 | シカンベツ【19世紀中葉〜】 |
森町 | 1800 | 1952 | 森林景観にちなむ和名。箱館往来の宿場・湊の集落名が近代に町名として整備。初出は近世末の村名記事。 | — |
八雲町 | 1878 | 2005 | 和歌の雅称「八雲」にちなむ近代命名。旧二村の合併を経て平成期に新設合併。初出は明治11(1878)年前後の入植地名記録。 | — |
長万部町 | 1669 | 1943 | アイヌ語「オシャマンベ(o-shaman-pe:川尻に横たわるもの/砂州 等)」の音写。湾頭の集落名が和字化して定着。初出は寛文9(1669)年頃の戦記・地誌に「ヲシャマンベ」。 | オシャマンベ【17世紀後期〜】 |
江差町 | 1644 | 1900 | 和名の湊名に由来。ニシン漁の繁栄で近世に広く流布。初出は『正保御国絵図』(1644頃)に「エサシ」。 | エサシ【近世〜】 |
上ノ国町 | 1644 | 1987 | 松前藩領内の位置呼称「上国」に由来。中世以来の地名が近世文書で確定。初出は『正保御国絵図』(1644頃)。 | 上国【中世〜】 |
厚沢部町 | 1824 | 1902 | アイヌ語の諸説(アッ・サム=入口、アッサブ=カバの多い所)があり、川名の音写が町名化。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | アッサブ【19世紀前期〜】 |
乙部町 | 1644 | 1902 | 岬・入江の地勢にちなむ和名(オツベツ等の音写説もある)。初出は『正保御国絵図』(1644頃)。 | — |
奥尻町 | 1644 | 1900 | 島名の古称に由来(アイヌ語音の和字化)。初出は『正保御国絵図』(1644頃)に島名の記載。 | — |
今金町 | 1900 | 1954 | 瑞祥の和名(豊饒祈念)として近代に命名。初出は明治末〜大正期の行政記録。 | — |
せたな町 | 1824 | 2005 | アイヌ語「セタ(犬)」や「セタ・ナイ(犬の沢)」等の音写に由来する地名群を統合して成立。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)に周辺の「セタナ」系記載。 | セタナ【19世紀〜】 |
島牧村 | 1824 | 1906 | 島影・岬景観にちなむ在地名(アイヌ語音の和字化)。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | — |
寿都町 | 1644 | 1900 | アイヌ語「スッツ(砂嘴の湾)」の音写を好字化。良港の湊名が定着。初出は『正保御国絵図』(1644頃)。 | スッツ【近世〜】 |
黒松内町 | 1824 | 1900 | 黒松林や河岸段丘景観の和名解釈。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | — |
蘭越町 | 1824 | 1943 | アイヌ語 ranko-us-i(桂の多い所)に比定される音写を好字化。語源は山地の樹相に由来し、自治体名採用は昭和の改称期。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | ランコウシ【19世紀前期〜】 |
ニセコ町 | 1824 | 1964 | 山名「ニセコアンヌプリ」に通じるアイヌ語 nisey-ko-an-nupuri(切り立つ崖のある山)系に由来。旧称「狩太」から観光地名として定着。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | 狩太(〜1964)/ニセコ【19世紀〜】 |
真狩村 | 1824 | 1906 | アイヌ語「マッカリ(後背湿地)」等の音写。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | マッカリ【19世紀前期〜】 |
留寿都村 | 1824 | 1906 | アイヌ語「ル・スッ・ツ(道・出る・ところ)」等の説があり、音写を好字化。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | ルスツ【19世紀前期〜】 |
喜茂別町 | 1824 | 1916 | アイヌ語「キム・オ・ペツ(山の中を通る川)」の音写で、好字化して「喜茂別」。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | キモベツ【19世紀前期〜】 |
京極町 | 1899 | 1962 | 開拓関係者の出身地・人名にちなむ近代命名。初出は明治32(1899)年の村設置記録。 | — |
倶知安町 | 1824 | 1900 | 語源はアイヌ語 kusha-ni(管状に流れ出る所 等)系の音写とされ、川合流部の地形名に好字を当てた。「クッチャン」から和字が整い定着。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | クッチャン【19世紀前期〜】 |
共和町 | 1953 | 1953 | 合併に伴う理念型の瑞祥名(共和)。在来の小字・川名はアイヌ語起源を多く残す。初出は昭和28(1953)の町制施行時。 | — |
岩内町 | 1644 | 1900 | 湾奥の岩礁地形を表す在地名(アイヌ語音の和字化)。初出は『正保御国絵図』(1644頃)に「イワナイ」。 | イワナイ【近世〜】 |
泊村 | 1824 | 1906 | 良港にちなむ和名(とまり)。近世の湊名が行政名へ。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | トマリ【近世〜】 |
神恵内村 | 1824 | 1906 | アイヌ語「カムイ・ナイ(神の沢)」の音写を和字化。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | カムイナイ【19世紀前期〜】 |
積丹町 | 1824 | 1902 | アイヌ語「シャク・コタン(夏の村 等)」の音写とされ、岬の地名が町名化。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | シャコタン【19世紀前期〜】 |
古平町 | 1824 | 1902 | 河谷の地勢にちなむ在地名。アイヌ語音の和字化(フルビラ→古平)とされる。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | フルビラ【19世紀前期〜】 |
仁木町 | 1897 | 1964 | 開拓氏族名・人物名にちなむ近代命名。果樹栽培地として知られる。初出は明治30(1897)年の村設置記事。 | — |
余市町 | 1824 | 1900 | アイヌ語「イオ・チ(蟹の多いところ 等)」の音写説ほかがあり、湾奥の集落名が和字化。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | ヨイチ【近世〜】 |
赤井川村 | 1858 | 1906 | 赤土の川にちなむ和名。旧称「シマウシベツ」の好字化とみられる。初出は幕末の村名・地図記録(1858)。 | シマウシベツ【19世紀中葉〜】 |
南幌町 | 1824 | 1951 | アイヌ語「ポロ/ホロ(大きい)」に由来する原野名「ホロムイ」を継承し、位置を示す和名を付したもの。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)に「ホロムイ」。 | ホロムイ【近世〜】 |
奈井江町 | 1824 | 1959 | アイヌ語「ナイエ(曲がる沢 等)」の音写を好字化。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | ナイエ【19世紀前期〜】 |
上砂川町 | 1859 | 1953 | 砂川上流域の位置呼称に由来。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に周辺の「スナガワ」。 | — |
由仁町 | 1824 | 1950 | アイヌ語「ユウニ(温泉のある所)」等の音写説があり、近代に和字化。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | ユウニ【19世紀前期〜】 |
長沼町 | 1824 | 1902 | 長い沼にちなむ和名(タンネト等の音写が好字化)。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | タンネト【19世紀前期〜】 |
栗山町 | 1824 | 1954 | 栗の産地・丘陵景観の和名化(旧称ヤムニウシ等の好字化)。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | ヤムニウシ【19世紀前期〜】 |
月形町 | 1881 | 1953 | 権令・月形氏の名にちなむ近代命名。初出は明治14(1881)年の獄舎・官庁設置記事。 | — |
浦臼町 | 1824 | 1952 | アイヌ語「ウラ・シ・ナイ(向こう側の沢)」の音写。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | ウラシナイ【19世紀前期〜】 |
新十津川町 | 1889 | 1902 | 移住元(大和・十津川)に由来する移民地名。初出は明治22(1889)の村設置記録。 | — |
妹背牛町 | 1859 | 1953 | アイヌ語「モセウシ(静かなところ)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | モセウシ【19世紀中葉〜】 |
秩父別町 | 1824 | 1947 | アイヌ語「チクシ・ペツ(小川の多い川 等)」の音写(諸説)。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | チクシベツ【19世紀前期〜】 |
雨竜町 | 1824 | 1946 | アイヌ語「ウリル・オ・ペツ(霧・多い・川)」の音写とされ、好字化して「雨竜」。初出は『蝦夷地名考并里程記』(1824)。 | ウリルオペツ【19世紀前期〜】 |
北竜町 | 1899 | 1959 | 方位+瑞祥による近代命名。旧村の地名はアイヌ語起源を継承。初出は明治32(1899)の村設置。 | — |
沼田町 | 1893 | 1955 | 湿地(沼田)の地勢を示す和名。初出は明治26(1893)年の入植記録。 | — |
幌加内町 | 1859 | 1949 | アイヌ語 horka-nay(逆戻りする川)に由来。川名が集落名へ派生し、近代に好字で定着。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ホロカナイ【19世紀中葉〜】 |
鷹栖町 | 1859 | 1963 | 鷹の棲む地を表す和名。屯田兵村の成立とともに地名が整備。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に周辺地名の記載。 | — |
東神楽町 | 1894 | 1966 | 神楽岡など近隣地名にちなんだ合成+方位の近代命名。初出は明治27(1894)の村設置記事。 | — |
当麻町 | 1859 | 1956 | 古社名・人名由来の和名とされ、近代に町名化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に「トオマナイ」。 | トオマナイ【19世紀中葉〜】 |
比布町 | 1859 | 1953 | アイヌ語「ピップ(小石の多い所 等)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ピップ【19世紀中葉〜】 |
愛別町 | 1859 | 1953 | アイヌ語「アイ・ペツ(矢・川 等)」の音写とされ、川名を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | アイベツ【19世紀中葉〜】 |
上川町 | 1899 | 1955 | 上流域を表す位置呼称の和名。初出は明治32(1899)の村設置。 | — |
東川町 | 1899 | 1943 | 方位+川の和名。初出は明治32(1899)の村設置。 | — |
美瑛町 | 1859 | 1926 | アイヌ語「ビイエ(油のある所 等)」の音写を好字化。丘陵景観の美称とも重なる。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ビイエ【19世紀中葉〜】 |
上富良野町 | 1897 | 1925 | 富良野盆地の上流域の位置呼称。初出は明治30(1897)の村設置記録。 | — |
中富良野町 | 1897 | 1943 | 富良野盆地の中域の位置呼称。初出は明治30(1897)の村設置記録。 | — |
南富良野町 | 1899 | 1949 | 富良野盆地の南域の位置呼称。初出は明治32(1899)の村設置。 | — |
占冠村 | 1859 | 1932 | アイヌ語「シモカップ(大きな・川の口)」の音写。山間盆地の集落名が和字化。昭和7(1932)年に南富良野村との組合役場を解き、占冠村として独立。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | シモカップ【19世紀中葉〜】 |
和寒町 | 1859 | 1949 | アイヌ語「ワッサム(楡のある所 等)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ワッサム【19世紀中葉〜】 |
剣淵町 | 1859 | 1953 | アイヌ語「ケンブチ(険しい淵)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ケンブチ【19世紀中葉〜】 |
下川町 | 1897 | 1949 | 位置呼称(下流域)に由来する和名。初出は明治30(1897)の村設置。 | — |
美深町 | 1859 | 1947 | アイヌ語「ピウカ(小石のある所 等)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ピウカ【19世紀中葉〜】 |
音威子府村 | 1859 | 1947 | アイヌ語「オトイネップ(河口の湿地 等)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | オトイネップ【19世紀中葉〜】 |
中川町 | 1899 | 1948 | 位置呼称(中流域)に由来。初出は明治32(1899)の村設置。 | — |
幌延町 | 1859 | 1949 | アイヌ語「ホロ・ノ・ペ(大きい・の・川)」等の音写。原野の川名が町名化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ホロノベ【19世紀中葉〜】 |
豊富町 | 1897 | 1949 | 瑞祥の和名(豊饒)として近代に命名。初出は明治30(1897)の村設置。 | — |
礼文町 | 1800 | 1962 | 島名のアイヌ語音写 repun-sir(沖の島)に由来。初出は伊能大図(19世紀初頭)に島名の記載。 | レブン【19世紀初頭〜】 |
利尻町 | 1786 | 1909 | 島名はアイヌ語 ri-sir(高い島)に由来し、島名自体の初出は『正保御国絵図』(1644頃)にさかのぼる。自治体名としての用例は幕末以降に確立。 | リシリ【18〜19世紀】 |
利尻富士町 | 1909 | 2004 | 島名+山名(利尻富士)にちなむ合成の近代〜平成の命名。初出は明治42(1909)の村制施行記録。 | — |
苫前町 | 1859 | 1909 | アイヌ語「トママエ(前浜)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | トママエ【19世紀中葉〜】 |
羽幌町 | 1859 | 1906 | アイヌ語「ハンボロ/ハボロ(湾の奥)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ハボロ【19世紀中葉〜】 |
初山別村 | 1859 | 1906 | アイヌ語「ショ・サン・ペツ(大きな・葦・川)」等の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ショサンベツ【19世紀中葉〜】 |
遠別町 | 1859 | 1902 | アイヌ語「エン・ペツ(岬の・川)」の音写。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | エンベツ【19世紀中葉〜】 |
天塩町 | 1859 | 1902 | アイヌ語「テシオ(梁のある所・川口)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | テシオ【19世紀中葉〜】 |
小平町 | 1644 | 1906 | 海岸の平地を表す和名(オビラ音写説あり)。初出は『正保御国絵図』(1644頃)に「オビラ」。 | オビラ【近世〜】 |
増毛町 | 1706 | 1909 | アイヌ語 mashke(海岸段丘の崖 など)に比定される地名の好字化。初出は宝永3(1706)の漁場関係文書に「増毛」。 | マシケ【18世紀初頭〜】 |
浜頓別町 | 1859 | 1951 | アイヌ語 to-un-pet(沼へ行く川)に由来する「頓別」に海浜近接を示す「浜」を冠した近代命名。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | トンナイ【19世紀中葉〜】 |
中頓別町 | 1899 | 1949 | 位置呼称(中)+頓別。頓別はアイヌ語「トン・ペツ」に由来。初出は明治32(1899)の村設置。 | — |
枝幸町 | 1859 | 2006 | アイヌ語「エサシ(岬)」の音写を好字化。平成の合併で現町名に。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | エサシ【19世紀中葉〜】 |
猿払村 | 1859 | 1909 | アイヌ語「サル・フツ(葦の・村)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | サルフツ【19世紀中葉〜】 |
美幌町 | 1859 | 1923 | アイヌ語「ピポロ(石の多いところ 等)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ピポロ【19世紀中葉〜】 |
津別町 | 1859 | 1950 | アイヌ語「ツ・ペツ(葉の多い川 等)」の音写。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ツベツ【19世紀中葉〜】 |
斜里町 | 1859 | 1950 | アイヌ語「サル(葦原)」の音写に由来。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | サル【19世紀中葉〜】 |
清里町 | 1955 | 1955 | 清らかな里の瑞祥名として改称。昭和30(1955)年に町制施行し、上斜里村から改称して「清里町」となった。初出は町制施行時の公示(1955)。 | — |
小清水町 | 1859 | 1943 | 湧泉地形にちなむ和名化(アイヌ語音の好字化)。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | コシミズ【19世紀中葉〜】 |
訓子府町 | 1859 | 1952 | アイヌ語「クンネップ(黒い・川)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | クンネップ【19世紀中葉〜】 |
置戸町 | 1859 | 1953 | アイヌ語「オケト(川尻)」の音写。内陸の交通結節として定着。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | オケト【19世紀中葉〜】 |
佐呂間町 | 1859 | 1959 | アイヌ語「サロマ(波打ち際)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | サロマ【19世紀中葉〜】 |
遠軽町 | 1859 | 2005 | アイヌ語「インカルシ(見晴らす所)」由来の地名が好字化・転訛して定着。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | エンカル【19世紀中葉〜】 |
湧別町 | 1859 | 2009 | アイヌ語「ユウ・ペツ(湧き出る・川)」の音写。旧上湧別などの合併で現町名に。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ユウベツ【19世紀中葉〜】 |
滝上町 | 1859 | 1953 | 滝の上の地勢を示す和名。旧称の音写(タキカミ等)を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | タキカミ【19世紀中葉〜】 |
興部町 | 1859 | 1950 | アイヌ語 o-ukot-pe / ow-koppe(合流する川口 等)の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | オコッペ【19世紀中葉〜】 |
西興部村 | 1899 | 1949 | 方位+興部。在地のアイヌ語地名を区域名に残しつつ、村名は和名整理。初出は明治32(1899)の村設置。 | — |
雄武町 | 1859 | 1954 | アイヌ語 omui / omupet(砂州で塞がる河口 等)に由来する地形語の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | オム【19世紀中葉〜】 |
大空町 | 2006 | 2006 | 平成の合併に伴う公募の新名称。広域の空港立地を象徴。初出は平成18(2006)の町発足時。 | — |
豊浦町 | 1859 | 1943 | 豊かな浦を意味する瑞祥名。前身の地名はアイヌ語音写を含む。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に周辺地名の記載。 | トヨウラ【19世紀中葉〜】 |
壮瞥町 | 1859 | 1943 | アイヌ語「ソウ・ベツ(滝の川)」の音写を好字化。洞爺湖周辺の地名整備で定着。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ソウベツ【19世紀中葉〜】 |
白老町 | 1859 | 1919 | アイヌ語「シラオイ(葦原の多いところ等)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | シラオイ【19世紀中葉〜】 |
厚真町 | 1859 | 1902 | アイヌ語「アッ・ツマ(浜の岬)」等の音写。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | アツマ【19世紀中葉〜】 |
洞爺湖町 | 1859 | 2006 | 湖名「トウヤ」の好字化。平成の合併で現町名に。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に「トウヤ」。 | トウヤ【19世紀中葉〜】 |
安平町 | 2006 | 2006 | 平成の合併で成立した瑞祥名(安らかで平ら)。在来の地名はアイヌ語音写を多く含む。初出は平成18(2006)の町発足時。 | — |
むかわ町 | 1859 | 2006 | アイヌ語「ムカ(流木・川口)」の音写に由来。平成合併で仮名表記の町名に。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ムカワ【19世紀中葉〜】 |
日高町 | 2006 | 2006 | 旧国名「日高」にちなむ合成の新設町名(平成合併)。初出は平成18(2006)の町発足時。 | — |
平取町 | 1859 | 1946 | アイヌ語「ピラ・トリ(崖・所)」の音写を好字化。沙流川流域の中心地名として定着。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ピラトリ【19世紀中葉〜】 |
新冠町 | 1700 | 1954 | アイヌ語 ni-kap(木の皮)説が主流。初出は元禄期の郷帳(1700)に「にかぶ」系の記載が見える。 | ニイカップ【18世紀前半〜】 |
浦河町 | 1644 | 1919 | 浦の河口の地勢を表す和名。初出は『正保御国絵図』(1644頃)に「ウラカワ」。 | ウラカワ【近世〜】 |
様似町 | 1859 | 1906 | アイヌ語「サモニ(浜の・湾内)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | サモニ【19世紀中葉〜】 |
えりも町 | 1859 | 1959 | アイヌ語「エンルム(岬)」の音写に由来。好字化して仮名表記の町名に。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | エンルム【19世紀中葉〜】 |
新ひだか町 | 2006 | 2006 | 平成合併に伴う広域名称(日高地方)を冠した新設町名。初出は平成18(2006)の町発足時。 | — |
音更町 | 1859 | 1906 | アイヌ語「オトフケ(川尻の沼)」の音写を好字化。十勝川沿いの集落名が町名へ。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | オトフケ【19世紀中葉〜】 |
士幌町 | 1859 | 1915 | アイヌ語「シホロ(本流から遠い川)」の音写。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | シホロ【19世紀中葉〜】 |
上士幌町 | 1899 | 1933 | 「士幌」の上流域を示す位置呼称で、分村時に成立。上流の台地・河谷の地勢を背景に近代に町名として定着。初出は明治32(1899)の村設置。 | — |
鹿追町 | 1859 | 1935 | 狩猟景観にちなむ和名(アイヌ語音写の好字化を含む)。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | シカオイ【19世紀中葉〜】 |
新得町 | 1859 | 1946 | アイヌ語「シントク(尾根の間)」の音写を好字化。石狩—十勝の峠越え要地。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | シントク【19世紀中葉〜】 |
清水町 | 1900 | 1953 | 湧水にちなむ和名。鉄道駅設置とともに定着。初出は明治末の駅名・村名記事。 | — |
芽室町 | 1859 | 1926 | アイヌ語「メムロ(泉のある所)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | メムロ【19世紀中葉〜】 |
中札内村 | 1899 | 1947 | 札内川中流の位置呼称に由来。初出は明治32(1899)の村設置。 | — |
更別村 | 1899 | 1947 | アイヌ語「サラ・ペツ(葦の川)」の音写を好字化。初出は明治32(1899)の村設置(地名自体は幕末地図に同系)。 | — |
大樹町 | 1900 | 1955 | 瑞祥名(大樹)を採った近代命名。初出は明治末の村名記事。 | — |
広尾町 | 1786 | 1950 | 岬の広い尾根にちなむ和名(アイヌ語音写の可能性も)。初出は『東蝦夷地沿海日記』(1786)。 | ヒロオ【18世紀後期〜】 |
幕別町 | 1859 | 1910 | アイヌ語 mak-un-pet(奥の・川)に由来する川名の好字化。十勝川の支流地名として近世末に記録化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | マクンベツ【19世紀中葉〜】 |
池田町 | 1900 | 1953 | 近代の人名・開拓行政にちなむ命名。初出は明治末の村名記事。 | — |
豊頃町 | 1859 | 1955 | アイヌ語「トヨ・コロ(豊かな・所)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | トヨコロ【19世紀中葉〜】 |
本別町 | 1869 | 1946 | 語源はアイヌ語 pon-pet(小さな川)。地名の官文書初出は明治2(1869)に「ホンヘツ」と見え、のち好字化して「本別」。 | ポンベツ【19世紀後期〜】 |
足寄町 | 1859 | 1925 | アイヌ語「アショロ(崖のある所)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | アショロ【19世紀中葉〜】 |
陸別町 | 1859 | 1947 | アイヌ語「リクン・ペツ(高い所を流れる川)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | リクンベツ【19世紀中葉〜】 |
浦幌町 | 1859 | 1955 | アイヌ語「ウラ・ホロ(向こうの・広い所)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ウラホロ【19世紀中葉〜】 |
釧路町 | 1644 | 1920 | 「釧路」はアイヌ語起源(クスリ等)。河口湿地の景観名が行政名へ。初出は『正保御国絵図』(1644頃)に「クスリ」。 | クスリ【17世紀中葉〜】 |
厚岸町 | 1786 | 1900 | 語源は atke-us-i(オヒョウの樹皮をはぐ所)説と atkeshi(牡蠣の場)説が並立。近世の場所請負期から良港として知られる。初出は『東蝦夷地沿海日記』(1786)。 | アッケシ【18世紀後期〜】 |
浜中町 | 1859 | 1901 | 浜の中の地勢を表す和名。前身の小地名はアイヌ語音写。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ハマナカ【19世紀中葉〜】 |
標茶町 | 1859 | 1943 | アイヌ語「シベチャリ(大きい・流れ)」の音写を好字化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | シベチャリ【19世紀中葉〜】 |
弟子屈町 | 1859 | 1947 | アイヌ語 teshika-ga(岩盤の上)に比定される語根に由来し、摩周湖周辺の地形名が好字で定着。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | テシカガ【19世紀中葉〜】 |
鶴居村 | 1859 | 1918 | タンチョウの生息地にちなむ和名。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)に周辺地名の記載。 | ツルイ【19世紀中葉〜】 |
白糠町 | 1786 | 1943 | アイヌ語「シラ・ヌカ(白い・砂浜)」の音写を好字化。初出は『東蝦夷地沿海日記』(1786)。 | シラヌカ【18世紀後期〜】 |
別海町 | 1859 | 1959 | アイヌ語「ベツ・カイ(川の・場所)」の音写を好字化。原野の大規模入植で町名化。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | ベツカイ【19世紀中葉〜】 |
中標津町 | 1899 | 1950 | 位置呼称(中)+標津。標津はアイヌ語「シ・ペツ(大きい・川)」に由来。初出は明治32(1899)の村設置。 | — |
標津町 | 1859 | 1901 | アイヌ語「シ・ペツ(大きい・川)」の音写。根室海峡に面する港名として定着。初出は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859)。 | シベツ【19世紀中葉〜】 |
羅臼町 | 1786 | 1901 | アイヌ語「ラウシ(岬)」の音写を好字化。国後島に対する本土側の湊名として定着。初出は『東蝦夷地沿海日記』(1786)。 | ラウス【18世紀後期〜】 |
北海道の地名は、アイヌ語固有の語構成(語根+修飾)が日本語の漢字表記(当て字)で写されて広まったものが多数を占めます。ここでは、市町村名や広域名に現在も色濃く残る代表的な要素を、まとめました。
アイヌ語の pet(川)を「別」で写した系統。単独でも複合でも広く用いられます。
例:紋別市(mon/pet系)、士別市(si-pet=大きい川説)、登別市(nupur-pet系とされる)、標津町(古形「シペツ」=si-pet)。
nay は「小河川・谷の流路」を指し、山地や台地縁の地形に付くことが多い要素です。
例:歌志内市(ウタシナイ=uta-us-nay系とされる)、幌加内町(ホロカナイ=poro-ka-nay系)、朱鞠内(しゅまりない/湖名・集落名)。
形容語根 poro(大きい)を写した当て字が「幌」。単独よりも複合語の一部として現れます。
例:札幌市(サッ・ポロ・ペッ=「乾いた・大きな・川」の合成が通説)、幌延町、幌加内町、(旧郡名)幌泉。
sir は「大地・島・陸地」を意味し、先端や境界を表す語と複合します。
例:知床(しれとこ=sir-etok「地の突端」/地域名)、後志(しりべし=広域名)、知内町(しりうち)。
嚮明而治
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