自治体 | 初見年 | 正式採用年 | 名称の由来(末尾に初出典拠) | 主な旧称(時期) |
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青森市 | 1624 | 1898 | 湾口の岬に繁る常緑樹の森を航路の目標としたことから「青い森」→「青森」と通説化。弘前藩が新湊を計画し、寛永期に町割・港湾整備が進む。のち城下外港・北前の寄港地として発展し、近代に県都へ。初出は寛永元(1624)の開発開始記事/寛永3(1626)の開発命令記事(藩政記録・年表)。 | 青森湊【江戸】/青森町【近代】 |
弘前市 | 1628 | 1889 | 築城当初は「高岡」。寛永5(1628)に津軽氏が城下名を「弘前」へ改称(加賀国高岡との重複回避や瑞祥意を指摘する説がある)。以後、城下町名として定着し近代に市名化。初出は寛永5(1628)の改称記事(藩政記録)。 | 鷹岡/高岡【慶長~寛永】 |
八戸市 | 17世紀前期 | 1929 | 南部の牧野区画「戸」(一戸~九戸)の一つ。「根城」を中心とする在郷町・湊の整備で「八戸」が地名として固着し、近代に市名へ。初出は近世初頭の藩政・宿駅資料。 | 八戸(城下・湊)【江戸】 |
黒石市 | 17世紀初頭 | 1954 | 黒色の岩・露頭にちなむ地名とされ、温泉・用水の整備とともに在郷町が形成。のち黒石藩(分知)の城下町として発展。初出は近世初頭の城下・村明細資料。 | 黒石(陣屋・城下)【江戸】 |
五所川原市 | 17世紀半ば | 1954 | 「五所(諸社領・社地)」+「川原」に由来する説が有力。岩木川の流路変遷とともに河畔集落が形成され、在郷町として成長。初出は江戸前~中期の地誌・郷帳類。 | 五所河原/五所川原【江戸】 |
十和田市 | 中世 | 1955 | 山岳信仰の聖地「十和田湖」に由来。開拓期に扇状地の新田化(近世)→近代の計画開拓(三本木)を経て、1955年に湖名を市名に採用。初出は中世~近世の地誌に見える湖名記載。 | 三本木【近世~1955】 |
三沢市 | 17世紀半ば | 1958 | 「三つの沢(支谷)」を示す在地名。馬産や新田開発で集落が拡大し、戦後は基地関連都市として発展。初出は近世村明細帳。 | 三沢村→三沢町【江戸~昭和】 |
むつ市 | 8世紀(国名) | 1960 | 古代国名「陸奥(むつ)」にちなむ新市名。田名部町・大湊町などの合併で発足し、半島の中核都市へ。初出は古代の国名記事/近代の市制告示。 | 田名部/大湊【中世~昭和】 |
つがる市 | 10世紀前半 | 2005 | 古代郡名「津軽」に由来。2005年に木造・森田・柏・稲垣・車力が合併して成立。初出は『和名類聚抄』(10世紀前半)津軽郡。 | 津軽郡【古代】/木造町ほか【近代】 |
平川市 | 中世 | 2006 | 扇状地を開析する「平らな川筋」にちなむ河川名から。平賀・尾上・碇ヶ関の合併により2006年発足。初出は中世の社寺縁起・郷村記事に見える川名。 | 平賀町/尾上町/碇ヶ関村【近代】 |
平内町 | 17世紀初頭 | 1958 | 陸奥湾の奥まった「平らな内湾」にちなむ地形名。漁撈と新田の進展で村落が確立。初出は近世初頭の村明細・郷帳。 | 平内村→小湊町などを経て平内町【近世~昭和】 |
今別町 | 17世紀前期 | 1955 | 津軽海峡の要衝に置かれた関・湊に由来する在地名とみられる。初出は近世の番所・湊関係記録。 | 今別村【江戸】 |
外ヶ浜町 | 17世紀前期 | 2005 | 津軽半島沿岸の広域通称「外浜」による合成名(蟹田・平舘・三厩の合併)。北前船往来の湊群として知られる。初出は近世地誌・絵図に見える「外浜」。 | 外浜【江戸】/蟹田・平舘・三厩【近代】 |
蓬田村 | 14~15世紀 | 1889 | ヨモギ(蓬)の繁る田地にちなむ植物地名。初出は中世在地文書での村名記事。近世に村名として定着。 | 蓬田【中世~】 |
西目屋村 | 16世紀前期 | 1955 | 目屋(めや)川流域の方位呼称(西)の合成。白神山地の山間集落として知られる。初出は戦国期文書の「目屋」。 | 目屋【戦国~】 |
板柳町 | 16世紀中期 | 1955 | 「板材」+「柳」の植生・用材地にちなむ在地名と解される。近世はりんご栽培の先進地としても展開。初出は戦国末~江戸初の地誌・郷帳。 | 板柳【戦国~】 |
鶴田町 | 16世紀中期 | 1954 | 瑞祥の「鶴」にちなむ名(湿地の渡来地景観とも親和)。岩木川沿いの新田開発で村落が形成。初出は近世初頭の村明細帳。 | 鶴田【近世~】 |
中泊町 | 15世紀 | 2005 | 「中の泊地」を意味する古い湊名に由来。中里町と小泊村の合併で現町名に。北前船航路の風待ち港として発達。初出は中世の湊記事。 | 中里町/小泊村【近代】 |
藤崎町 | 14世紀 | 1955 | 藤の繁茂する岬(崎)に由来する古地名。津軽平野の扇状地上に在郷町が成立。初出は中世の在地文書。 | 藤崎【中世~】 |
大鰐町 | 16世紀 | 1955 | 温泉地名で、奇岩「鰐石」伝承にちなんだとされる。近世には藩の湯治場として整備。初出は近世初頭の温泉記録・寺社縁起。 | 大鰐温泉【江戸】 |
田舎館村 | 13世紀 | 1955 | 在地の小城館(たて)に由来する城館名。「田舎の館」からの地名化とされる。初出は鎌倉~南北朝期の地名記事。近世に村名として固定。 | 田舎館【中世~】 |
鰺ヶ沢町 | 15世紀 | 1889 | 漁獲のアジにちなむ湊名とされる(「味」=良港の意の当て字説も)。日本海交易の良港として発達。初出は中世末~近世初頭の湊・関所記録。 | 鯵ヶ沢(湊)【中世末~】 |
深浦町 | 16世紀 | 2005 | 海食崖に囲まれた「深い浦」に由来。北前船の風待ち港として知られる。初出は戦国~江戸初期の湊記録。 | 深浦(湊)【戦国~】 |
野辺地町 | 16世紀 | 1889 | 「野の辺の地」=原野と湾頭の接点を表す地名。陸奥湾の港町・宿駅として栄える。初出は近世初頭の湊・宿駅資料。 | 野辺地(湊・宿)【江戸】 |
七戸町 | 15世紀 | 1889 | 南部の牧区画「戸」連番の一つ。城館跡を核に在郷町が形成。初出は中世~近世初頭の在地文書。 | 七戸【中世~】 |
六戸町 | 16世紀 | 1889 | 同系列の「戸」地名。新田開発と馬産で集落が拡大。初出は戦国末~江戸初の文書。 | 六戸【戦国~】 |
横浜町 | 18世紀 | 1889 | 砂州が横に延びる「横(長)い浜」に由来。陸奥湾口の風待ち・寄港地として機能。初出は近世後期の地誌・絵図。 | 横浜【近世後期~】 |
東北町 | 2005 | 2005 | 上北町と天間林村の合併により誕生した創設名。地方広域名「東北」にちなむ。初出は町名告示(2005)。 | 上北町/天間林村【近代】 |
六ヶ所村 | 17世紀半ば | 1956 | 6つの小村・小字の合同を示す合成名。近世の村明細に散見し、近代合併で現村名に。初出は近世村明細帳。 | 尾駮・泊・平沼ほか【近世】 |
おいらせ町 | 中世 | 2006 | 河川名「奥入瀬(おいらせ)川」に由来。百石町と下田町の合併で発足。渓谷・扇状地の自然地名が行政名に転用。初出は中世の川名記事。 | 百石町/下田町【近代】 |
大間町 | 17世紀前期 | 1959 | 半島突端の「大きな岬(間)」にちなむ地名。津軽海峡の要衝として湊・番所が置かれる。初出は近世初頭の湊・番所文書。 | 大間(湊)【江戸】 |
東通村 | 1889 | 1889 | 半島の東側を縦走する街道・通り筋にちなむ近代の行政名。村制施行時に成立。初出は村制公文書(1889)。 | 東通【近代~】 |
風間浦村 | 17世紀半ば | 1889 | 海風の当たる入江=「風当たりの浦」にちなむ地形名。初出は近世の村明細帳・海運記録。 | 風間浦【近世~】 |
佐井村 | 15世紀 | 1889 | アイヌ語起源(砂・小砂丘の意 等)を指摘する説と和語説が並立。津軽海峡航路の湊として知られる。初出は中世の往来記・湊文書。 | 佐井(湊)【中世~】 |
三戸町 | 13世紀 | 1889 | 南部氏の根拠地。「戸」地名群の中心として発展し、館・市庭の成立で在郷町化。初出は中世の在地文書。 | 三戸(城・在郷)【中世~】 |
五戸町 | 14世紀 | 1889 | 「戸」地名群のひとつ。馬産・街道交通で栄えた在郷町。初出は中世末の文書。 | 五戸【中世~】 |
田子町 | 15世紀 | 1889 | 谷地・田地の小字「タゴ」に由来する説などがある。南部山間部の宿場・市庭として展開。初出は戦国期の在地文書。 | 田子【戦国~】 |
南部町 | 13世紀 | 2006 | 在地武士団「南部」に由来する歴史地名を合併後も継承。名川町・福地村・(旧)南部町の再編で発足。初出は中世の氏族・郷名記事。 | 名川町/福地村/(旧)南部町【近代】 |
階上町 | 16世紀 | 1955 | 段丘の「階(きざはし)」の上に開けた地勢にちなむ。太平洋岸の漁村・在郷町として発展。初出は近世初頭の村明細帳。 | 階上【近世~】 |
新郷村 | 1955 | 1955 | 「新しい郷」。戸来村と西越村の合併で成立し、新村名に採択。初出は村名告示(1955)。 | 戸来村/西越村【近代】 |
戸について
「戸(へ)」は“牧(まき)の出入口(柵の戸)”に由来する説が有力です。中世、南部氏の領内(現在の青森県南・岩手県北)では、武馬の育成・放牧地「牧」を各地に置き、その柵(さく)に設けた出入口=“戸”の周りに管理拠点(番所・柵戸)が整えられました。こうした拠点を基点に一戸・二戸…九戸と呼んだのが「戸」地名の原型とされます。
数字は“区割り(番付)”を表すと理解されます。のちに行政・軍事・牧の管理単位として使われ、地域呼称(のちの郡・町村の名)へと発展しました。四戸は現行地名としては残っていませんが、史料には見えます(現在の一帯は他町村に分かれています)。
読みが「〜のへ」になる理由:古くは「辺(へ)」の表記も併用され、「八ノ辺(はちのへ)」のように“〜の辺=〜のあたり(地域)”を指す言い方がありました。のちに表記が「戸」に揃えられ、八戸(はちのへ)/三戸(さんのへ)のような読みが定着しました。
以上のように、「戸」は牧の門(柵の戸)→管理拠点→地域の単位という順に意味が広がり、現在の市町村名として受け継がれています。
嚮明而治
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