青森県の地名

自治体 初見年 正式採用年 名称の由来(末尾に初出典拠) 主な旧称(時期)
青森市 938年頃 1878 湾口の岬に繁る常緑樹の森を航路の目標としたことから「青い森」→「青森」と通説化。弘前藩が新湊を計画し、寛永期に町割・港湾整備が進む。のち城下外港・北前の寄港地として発展し、近代に県都へ。
初出は寛永元(1624)年の藩政記録等に「青森」。
青森湊【江戸】/青森町【近代】
弘前市 1628 1878 築城当初は「高岡」。寛永5(1628)に津軽氏が城下名を「弘前」へ改称(加賀国高岡との重複回避や瑞祥意を指摘する説がある)。以後、城下町名として定着し近代に市名化。
初出は寛永5(1628)年の改称記録等に「弘前」。
鷹岡/高岡【慶長~寛永】
八戸市 1366 1878 南部の牧野区画「戸」(一戸~九戸)の一つ。「根城」を中心とする在郷町・湊の整備で「八戸」が地名として固着し、近代に市名へ。
初出は正平21(1366)年の『四戸八幡宮神役帳』等に「八戸」。
八戸(城下・湊)【江戸】
黒石市 17世紀初頭 1878 黒色の岩・露頭にちなむ地名とされ、温泉・用水の整備とともに在郷町が形成。のち黒石藩(分知)の城下町として発展。
初出は近世初頭の城下・村明細等に「黒石」。
黒石(陣屋・城下)【江戸】
五所川原市 17世紀半ば 1878 「五所(諸社領・社地)」+「川原」に由来する説が有力。岩木川の流路変遷とともに河畔集落が形成され、在郷町として成長。
初出は近世中期の地誌・郷帳類等に「五所川原」。
五所河原/五所川原【江戸】
十和田市 中世 1955 山岳信仰の聖地「十和田湖」に由来。開拓期に扇状地の新田化(近世)→近代の計画開拓(三本木)を経て、1955年に湖名を市名に採用。
初出は中世の記録等に「十和田」。
三本木【近世~1955】
三沢市 17世紀半ば 1878 「三つの沢(支谷)」を示す在地名。馬産や新田開発で集落が拡大し、戦後は基地関連都市として発展。
初出は近世の村明細帳等に「三沢」。
三沢村→三沢町【江戸~昭和】
むつ市 701 1960 古代国名「陸奥(むつ)」にちなむ新市名。田名部町・大湊町などの合併で発足し、半島の中核都市へ。
初出は大宝元(701)年の国名記事等に「陸奥国」。
田名部/大湊【中世~昭和】
つがる市 938年頃 2005 古代郡名「津軽」に由来。2005年に木造・森田・柏・稲垣・車力が合併して成立。
初出は『和名類聚抄』(938年頃)等に「津軽(郡)」。
津軽郡【古代】/木造町ほか【近代】
平川市 中世 2006 扇状地を開析する「平らな川筋」にちなむ河川名から。平賀・尾上・碇ヶ関の合併により2006年発足。
初出は中世の社寺縁起・郷村記事等に「平川」。
平賀町/尾上町/碇ヶ関村【近代】
平内町 17世紀初頭 1878 陸奥湾の奥まった「平らな内湾」にちなむ地形名。漁撈と新田の進展で村落が確立。
初出は近世初頭の村明細等に「平内」。
平内村→小湊町などを経て平内町【近世~昭和】
今別町 17世紀前期 1878 津軽海峡の要衝に置かれた関・湊に由来する在地名とみられる。
初出は近世の番所・湊記録等に「今別」。
今別村【江戸】
外ヶ浜町 17世紀前期 2005 津軽半島沿岸の広域通称「外浜」による合成名(蟹田・平舘・三厩の合併)。北前船往来の湊群として知られる。
初出は近世の地誌・絵図等に「外浜」。
外浜【江戸】/蟹田・平舘・三厩【近代】
蓬田村 14~15世紀 1878 ヨモギ(蓬)の繁る田地にちなむ植物地名。近世に村名として定着。
初出は中世の在地文書等に「蓬田」。
蓬田【中世~】
西目屋村 16世紀前期 1889 目屋(めや)川流域の方位呼称(西)の合成。白神山地の山間集落として知られる。
初出は戦国期の文書等に「目屋」。
目屋【戦国~】
板柳町 16世紀中期 1878 「板材」+「柳」の植生・用材地にちなむ在地名と解される。近世はりんご栽培の先進地としても展開。
初出は戦国末期の地誌・郷帳等に「板柳」。
板柳【戦国~】
鶴田町 16世紀中期 1878 瑞祥の「鶴」にちなむ名(湿地の渡来地景観とも親和)。岩木川沿いの新田開発で村落が形成。
初出は近世初頭の村明細等に「鶴田」。
鶴田【近世~】
中泊町 15世紀 2005 「中の泊地」を意味する古い湊名に由来。中里町と小泊村の合併で現町名に。北前船航路の風待ち港として発達。
初出は中世の湊記事等に「中泊」。
中里町/小泊村【近代】
藤崎町 14世紀 1878 藤の繁茂する岬(崎)に由来する古地名。津軽平野の扇状地上に在郷町が成立。
初出は中世の在地文書等に「藤崎」。
藤崎【中世~】
大鰐町 16世紀 1878 温泉地名で、奇岩「鰐石」伝承にちなんだとされる。近世には藩の湯治場として整備。
初出は近世初頭の寺社縁起等に「大鰐(温泉)」。
大鰐温泉【江戸】
田舎館村 13世紀 1878 在地の小城館(たて)に由来する城館名。「田舎の館」からの地名化とされる。近世に村名として固定。
初出は鎌倉~南北朝期の記録等に「田舎館」。
田舎館【中世~】
鰺ヶ沢町 15世紀 1878 漁獲のアジにちなむ湊名とされる(「味」=良港の意の当て字説も)。日本海交易の良港として発達。
初出は中世末の関所記録等に「鯵ヶ沢」。
鯵ヶ沢(湊)【中世末~】
深浦町 16世紀 1878 海食崖に囲まれた「深い浦」に由来。北前船の風待ち港として知られる。
初出は戦国期の湊記録等に「深浦」。
深浦(湊)【戦国~】
野辺地町 16世紀 1878 「野の辺の地」=原野と湾頭の接点を表す地名。陸奥湾の港町・宿駅として栄える。
初出は近世初頭の宿駅資料等に「野辺地」。
野辺地(湊・宿)【江戸】
七戸町 1366 1878 南部の牧区画「戸」連番の一つ。城館跡を核に在郷町が形成。
初出は正平21(1366)年の『四戸八幡宮神役帳』等に「七戸」。
七戸【中世~】
六戸町 1366 1889 同系列の「戸」地名。新田開発と馬産で集落が拡大。
初出は正平21(1366)年の『四戸八幡宮神役帳』等に「六戸」。
六戸【戦国~】
横浜町 18世紀 1878 砂州が横に延びる「横(長)い浜」に由来。陸奥湾口の風待ち・寄港地として機能。
初出は近世後期の地誌・絵図等に「横浜」。
横浜【近世後期~】
東北町 1963 1963 上北町と天間林村の合併により誕生した創設名。地方広域名「東北」にちなむ。
初出は昭和38(1963)年の町制施行時の「東北町」。
甲地村/上北町/天間林村【近代】
六ヶ所村 17世紀半ば 1889 6つの小村・小字の合同を示す合成名。近世の村明細に散見し、近代の町村制施行時に現村名に。
初出は近世の村明細帳等に「六ヶ所」。
尾駮・泊・平沼ほか【近世】
おいらせ町 中世 2006 河川名「奥入瀬(おいらせ)川」に由来。百石町と下田町の合併で発足。渓谷・扇状地の自然地名が行政名に転用。
初出は中世の川名記事等に「奥入瀬(川)」。
百石町/下田町【近代】
大間町 17世紀前期 1878 半島突端の「大きな岬(間)」にちなむ地名。津軽海峡の要衝として湊・番所が置かれる。
初出は近世初頭の番所文書等に「大間(湊)」。
大間(湊)【江戸】
東通村 1889 1889 半島の東側を縦走する街道・通り筋にちなむ近代の行政名。村制施行時に成立。
初出は明治22(1889)年の村制施行時の「東通村」。
東通【近代~】
風間浦村 17世紀半ば 1889 海風の当たる入江=「風当たりの浦」にちなむ地形名。
初出は近世の海運記録等に「風間浦」。
風間浦【近世~】
佐井村 15世紀 1878 アイヌ語起源(砂・小砂丘の意 等)を指摘する説と和語説が並立。津軽海峡航路の湊として知られる。
初出は中世の湊文書等に「佐井(湊)」。
佐井(湊)【中世~】
三戸町 1366 1878 南部氏の根拠地。「戸」地名群の中心として発展し、館・市庭の成立で在郷町化。
初出は正平21(1366)年の『四戸八幡宮神役帳』等に「三戸」。
三戸(城・在郷)【中世~】
五戸町 1366 1878 「戸」地名群のひとつ。馬産・街道交通で栄えた在郷町。
初出は正平21(1366)年の『四戸八幡宮神役帳』等に「五戸」。
五戸【中世~】
田子町 15世紀 1878 谷地・田地の小字「タゴ」に由来する説などがある。南部山間部の宿場・市庭として展開。
初出は戦国期の在地文書等に「田子」。
田子【戦国~】
南部町 13世紀 2006 在地武士団「南部」に由来する歴史地名を合併後も継承。名川町・福地村・(旧)南部町の再編で発足。
初出は中世の氏族・郷名記事等に「南部」。
名川町/福地村/(旧)南部町【近代】
階上町 16世紀 1889 段丘の「階(きざはし)」の上に開けた地勢にちなむ。太平洋岸の漁村・在郷町として発展。
初出は近世初頭の村明細帳等に「階上」。
階上【近世~】
新郷村 1955 1955 「新しい郷」。戸来村と西越村の合併で成立し、新村名に採択。
初出は昭和30(1955)年の村制施行時の「新郷村」。
戸来村/西越村【近代】

戸について
 「戸(へ)」は“牧(まき)の出入口(柵の戸)”に由来する説が有力です。中世、南部氏の領内(現在の青森県南・岩手県北)では、武馬の育成・放牧地「牧」を各地に置き、その柵(さく)に設けた出入口=“戸”の周りに管理拠点(番所・柵戸)が整えられました。こうした拠点を基点に一戸・二戸…九戸と呼んだのが「戸」地名の原型とされます。
 数字は“区割り(番付)”を表すと理解されます。のちに行政・軍事・牧の管理単位として使われ、地域呼称(のちの郡・町村の名)へと発展しました。四戸は現行地名としては残っていませんが、史料には見えます(現在の一帯は他町村に分かれています)。
 読みが「〜のへ」になる理由:古くは「辺(へ)」の表記も併用され、「八ノ辺(はちのへ)」のように“〜の辺=〜のあたり(地域)”を指す言い方がありました。のちに表記が「戸」に揃えられ、八戸(はちのへ)/三戸(さんのへ)のような読みが定着しました。
 以上のように、「戸」は牧の門(柵の戸)→管理拠点→地域の単位という順に意味が広がり、現在の市町村名として受け継がれています。

地名の由来

嚮明而治
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