秋田県の地名

自治体 初見年 正式採用年 名称の由来 主な旧称(時期)
秋田市7331889地名の古形は「あぎた/あきた」。文献には「齶田浦」や「秋田」などの表記が見え、語源は諸説(①海岸砂丘と潟の縁の微高地=“上がる所”〈アギ=高い+タ=処〉説、②焼畑・開墾の「アキ(明・開)+タ(場所)」説、③「秋の田」の瑞祥解釈など)。いずれも台地と湿地が交わる地形・開発史を反映し、江戸前期には城下の公称として「秋田」が定着、県・市名へ継承。初出は『続日本紀』(733)に城柵「秋田城」久保田(城下)【17世紀初頭〜19世紀】/秋田郡【古代〜近世】
能代市7711940米代川河口の港町名に由来。古くは『続日本紀』などに「渟代(ぬしろ)」の表記が見え、のち表記が整って能代に定着。砂州の伸びる河口地形からの呼称と解され、近世の能代湊として繁栄、市名に継承。能代湊【江戸初期〜】
横手市14世紀半ば1951城郭・地形の側(横手)を指す呼称に由来。中世文書に横手郷などの用例が見え、南北朝期に遡る。戦国末に横手城が築かれ城下名として普及、近代に市名化。横手(城下)【16世紀末〜】
大館市16世紀半ば1951大きな館・柵を意味する「大館」に由来。比内盆地の要地に中近世の城が置かれ、城下町名として定着。近代の市名へ継承。大館(城下)【戦国〜】/比内【古代〜近世】
男鹿市12〜13世紀1954突き出た半島(岬)景観を表す地名に由来とされる(語源未詳)。古くは「男鹿嶋」などの表記も見え、修験・海上交通の要地として知られた。初出は平安末〜鎌倉期の地名・寺社記録(12〜13世紀)に「男鹿」。男鹿嶋【中世】
湯沢市15世紀1954温泉(湯)が湧くにちなむ和名。小安峡などの温泉・渓谷景観と結びついて地名化し、のち近代の市名に。初出は中世文書(室町期)に「湯沢」。湯沢(在郷町)【近世】
鹿角市8世紀1972鹿の角(かづの)」に通じる地形名とされ、古代には城柵「鹿角柵」が置かれた。郡名・地域名として一貫して用いられ、明治以降の町村名・市名へ継承。初出は『続日本紀』(8世紀)に「鹿角」。鹿角(郡名)【古代〜】/花輪(城下)【近世】
由利本荘市10世紀前半2005古代郡名「由利」と近世城下「本荘」を合わせた合成。旧由利郡は『和名類聚抄』(10世紀前半)に見え、江戸期は本荘藩の城下名が広まった。初出は『和名類聚抄』(10世紀前半)に「由利郡」。本荘(城下)【近世】/由利郡【古代〜】
潟上市17世紀2005市名は八郎潟にちなむ。地名要素「潟」は砂州で外海と隔てられた浅い水域(潟湖)を指す。沿岸の天王・昭和・飯田川の合併で成立。初出は近世の絵図・地誌(17世紀)に「八郎潟」。天王町/昭和町/飯田川町【1950年代〜2004】
大仙市20052005平成の合併で誕生した新名称。旧大曲などの「大」と仙北地方の「仙」を合わせた合成名。初出は市制施行(2005)の公示。大曲市【1954〜2005】/仙北郡【近代】
北秋田市18962005旧来の広域名「秋田」に由来し、その北側の区域を示すため「北」を冠した合成名。秋田の語義については本表「秋田市」の解説参照。2005年の新設合併で採用。北秋田郡【1896〜】/鷹巣(中心地)【近世〜】
にかほ市中世2005中世以来、この地を本拠とした在地武士仁賀保氏の名に由来する人名系地名。近世を通じ「仁賀保(にかほ)」が郷名・町名として広く用いられ、2005年の合併で市名化。語の成り立ち(音の由来)は諸説が伝わるが定説化していない。仁賀保(町)【近世〜2005】
仙北市近世2005広域呼称「仙北(せんぼく)」に由来。もとは「山北」と書いて出羽国の山地北側一帯(角館・田沢・大曲周辺)を指した総称で、のち同音の好字「仙北」が用いられるようになった。郡名・地域名としての伝統を引き継いで現市名に採用。仙北郡【近世〜】/角館(中心地)【近世〜】
小坂町19世紀1914段丘縁の地形にちなむ在地名。明治期に小坂鉱山が開発され鉱山町として著しく発展、町名が確立。初出は江戸末〜明治初期の鉱山・商業史料に「小坂」。小坂鉱山【明治期】
上小阿仁村18世紀1889基幹河川名「阿仁(あに)」に「小」を冠した位置呼称。阿仁の語源はアイヌ語起源とされる諸説があり、一般に ani(谷・狭い流路をもつ谷)に比定されることが多い。「小阿仁」は阿仁川水系の支流域=「小さな阿仁(の川・谷)」を表す。小阿仁【近世〜】
藤里町18世紀1955山麓の集落景観にちなむ和名で、藤の咲く里を意識した地名と解される。白神山地の玄関口として知られ、近世の村名を継いで町名化。初出は近世地誌に「藤里」。藤里(村)【近世〜】
三種町20062006八竜・琴丘・山本の3町合併にちなむ新名称。「三」は町数、「種」は旧来の穀倉地帯・種子のめぐみを象徴させる造語要素。初出は町発足(2006)。八竜町/琴丘町/山本町【〜2006】
八峰町20062006八森町峰浜村の合成名。「八」は八森の頭字、「峰」は峰浜の要素で、白神山地の峰々のイメージも重ねた。初出は町発足(2006)。八森町/峰浜村【〜2006】
五城目町14951895古城のめぐり(城目)にちなむ説、朝市(五十目=ごじゅうめ)の呼び名が転じたとする説などが伝わる。近世には五城目朝市で知られ、在郷町名が近代に町名化。五城目(在郷町)【近世〜】
八郎潟町17世紀1956地名要素は大潟湖八郎潟に由来。戦後の町村合併で町名として採用。干拓以前から潟沿いの農漁村として知られた。初出は近世の絵図・地誌(17世紀)に「八郎潟」。八郎潟(地域呼称)【近世〜】
井川町18世紀1956湧水・井戸の豊かな川沿いの景観にちなむ和名。複数村の合併で近代に町名化。初出は近世の村明細帳に「井川」。井内村ほか(旧村名)【近世〜1956】
大潟村19641964大規模干拓で誕生した新地名。八郎潟の中央部を干拓して造成され、村名は「大きな潟」に由来。初出は村制施行(1964)。(干拓事業名)八郎潟新農村【1960年代】
美郷町20042004六郷・千畑・仙南の合併時に公募で選ばれた瑞祥名(美しい郷)。六郷の湧水群など「水の郷」のイメージも重ねる。初出は町発足(2004)。六郷町/千畑町/仙南村【〜2004】
羽後町19551955旧国名「羽後(うご)」に由来。1868年、出羽国が分割され、都から見て遠い方を「後」、近い方を「前」として『羽後』(秋田側)『羽前』(山形側)が立てられた。「羽」は『出羽』の字を継ぐ。町名はこの国名を冠した近代の行政名称である。西馬音内町 ほか(旧村名)【〜1955】
東成瀬村18891889村域を貫く成瀬川の川名に由来する位置地名。川名「なるせ」は、急流・瀬音を表す「鳴る瀬(鳴瀬)」の表記を好字化して「成瀬」としたとみる説が知られ、峡谷と瀬の多い川相とよく合う。成瀬(郷)【近世〜】

秋田の「潟(かた/がた)」地名について

秋田沿岸部には、砂州(砂の堤)で外海と隔てられた浅い水域=潟湖(ラグーン)が発達しました。代表が八郎潟で、近世以降の絵図や地誌にも頻出します。地名要素の「潟」はこの自然地形を指し、潟上市/八郎潟町/大潟村などの自治体名や小字に広く残ります。20世紀後半の干拓で「大潟村」が誕生し、周辺自治体名にも反映されました。

地名の由来

嚮明而治
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