秋田県の地名

自治体 初見年 正式採用年 名称の由来 主な旧称(時期)
秋田市
あきたし
7331878秋田市の由来には諸説あり、低湿地を示す「悪田(あくた)」の転訛説や、アイヌ語で「あごに似た地形」を意味する言葉に由来する説が有力である。雄物川河口の土崎湊を擁する港町として、また佐竹氏の城下町として繁栄した歴史を持つ。現在は県政の中心地であり、周辺では稲作を中心とした農業も盛んである。久保田(城下)【1604~1871】
秋田郡【古代〜近世】
能代市
のしろし
7711878能代市は、古くは「渟代(ぬしろ)」や「野代」と表記され、アイヌ語で「野の真ん中」を意味する言葉に由来する説や、水辺の野原を指す説がある。米代川の河口に位置する港町として発達し、古くから秋田杉の集積地として木材産業で栄えた。周辺の豊かな水源を活かした農業も地勢的な特徴である。野代【〜1704】
能代湊【江戸〜】
横手市
よこてし
13531878横手市の名称は、山裾や山の側を意味する和語の「山の横手」に由来するとされる。一方で、周辺地域にはアイヌ語由来と推測される地名も散見される。中世は小野寺氏、近世は佐竹氏一門の城下町として発展した。広大な横手盆地の地形を活かした果樹栽培や稲作など、県内屈指の農業地帯である。横手(城下)【16世紀末〜】
大館市
おおだてし
15911878大館市の地名は、中世に築かれた大規模な館(城郭)である大館に由来する。市内の河川や地名には「内(ナイ)」などアイヌ語を語源とする名残も見られる。江戸期は佐竹西家の城下町として発展し、近代は花岡鉱山などの鉱業で繁栄した。盆地特有の気候を活かした林業や農業も盛んである。大館(城下)【戦国〜】
比内【古代〜近世】
男鹿市
おがし
11901954男鹿市の由来には、鹿が多く生息していたからという説のほか、アイヌ語で「突き出た所」を意味する「オカ」に由来する説がある。日本海に突き出た男鹿半島を有し、船川港を中心とした港町や漁業の拠点として発展してきた。特異な地形から生み出される豊かな海産物と、独自の民俗文化が息づく地である。男鹿嶋【中世】
湯沢市
ゆざわし
1590頃1878湯沢市の名称は、温泉が湧き出る沢があった地形そのものに由来する。県南部の山間地にはアイヌ語の痕跡を残す地名も多い。近世は佐竹南家の城下町として栄えるとともに、日本有数の院内銀山を擁する鉱山町としても発展した。豊かな伏流水を利用した酒造りや、伝統的な農業が盛んな地域である。湯沢(在郷町)【近世】
鹿角市
かづのし
13181972鹿角市の地名は、神が鹿の角を折って与えたという伝説に由来する和語説と、アイヌ語の地形表現に語源を求める説が存在する。古くから交通の要衝であり、近代にかけては尾去沢鉱山などを中心とした日本有数の鉱山町として大いに繁栄した。四方を山に囲まれた盆地地勢を活かし、果樹などの農業も盛んである。鹿角(郡名)【古代〜】
花輪(城下)【近世】
由利本荘市
ゆりほんじょうし
20052005由利本荘市の名称は、古くからの郡名「由利」と城下町「本荘」の合成である。由利の語源にはアイヌ語由来説や百合の花にちなむ説などがある。六郷氏の治める城下町であるとともに、子吉川河口の港町としても舟運で栄えた。広大な市域は海から山に及び、水産業から林業、農業まで多彩な産業を支えている。本荘(城下)【近世】
由利郡【古代〜】
潟上市
かたがみし
16882005潟上市は、かつて日本第2位の面積を誇った湖である八郎潟の上部(南側)に位置する地勢に由来する。周辺にはアイヌ語の「ナイ」に連なる小河川群の地名も見られる。古くから湖と日本海を結ぶ水上交通の要衝として栄え、近世には街道の宿場町として発展した。現在は果樹栽培を中心とする農業地帯である。天王町【1961~2005】
昭和町【1935~2005】
飯田川町【1935~2005】
大仙市
だいせんし
20052005大仙市の名称は、合併前の「大曲」の「大」と「仙北」の「仙」を組み合わせたものである。大曲という地名は雄物川が大きく蛇行する地形に由来し、古くからアイヌ語圏とも交わる河川交通の要衝であった。近世には宿場町および川港町として発展し、広大な仙北平野の肥沃な土壌を活かした全国屈指の米どころである。大曲市【1954〜2005】
仙北郡【1878~2005】
北秋田市
きたあきたし
18782005北秋田市は、旧秋田郡の北部という地勢的な位置関係に由来する広域地名である。市内の「阿仁」などにはアイヌ語の要素が残るとされ、古くから狩猟文化を担うマタギの拠点であった。また日本一の産銅量を誇った阿仁銅山の鉱山町として繁栄した歴史を持ち、豊かな森林資源を背景とした林業や農業が営まれている。北秋田郡【1878〜】
鷹巣(中心地)【近世〜】
にかほ市
にかほし
16122005にかほ市の名称は、旧町名である「仁賀保」を平仮名表記したものであり、語源にはアイヌ語で樹木を意味する言葉に由来する説などがある。かつては松島と並び称された象潟の景勝地を有し、古くは仁賀保氏の拠点として発展した。豊富な湧水地勢を活かした農業のほか、近代以降は電子部品産業が盛んな企業城下町である。仁賀保(郷・町)【近世~2005】
仙北市
せんぼくし
8802005仙北市の名称は、かつての郡名「仙北」に由来し、山地(仙)の北側に位置する地勢を表している。市内にはアイヌ語の「ナイ」が付く地名が多く残り、先住民の足跡を伝える。江戸期には芦名氏や佐竹北家の城下町である角館を中心に武家文化が栄えた。豊かな森林資源と水系に恵まれ、観光業と農業が共に発達している。仙北郡【近世〜】
角館(中心地)【近世〜】
小坂町
こさかまち
17381878小坂町の地名は、周囲を山に囲まれた小高い坂や丘陵が多い地形的な特徴に由来する。周辺の山間部にはアイヌ語を語源とする地名も点在している。近代以降は日本有数の小坂鉱山を擁する鉱山町として近代化の最先端を走り、華やかな洋風建築が建ち並んだ。現在はリサイクル産業と、高冷地地勢を活かした農業が中心である。小坂鉱山【1869~】
上小阿仁村
かみこあにむら
15911889上小阿仁村の名称は、村を貫流する小阿仁川の上流域に位置する地勢に由来する。「阿仁」の語源はアイヌ語で「木が群生する所」などを意味するとされる。急峻な山々に囲まれた地形から、古くから秋田杉の産地として林業で栄えてきた。平地が少ない環境の中で、段丘を活用した独自の農業や特産物栽培が受け継がれている。小阿仁【近世〜】
藤里町
ふじさとまち
16011955藤里町の名称は、合併前の「藤琴」と「粕毛」の各村から一文字ずつを取り、「里」を当てた合成地名である。藤琴などの地名にはアイヌ語の地形表現に由来する説がある。世界自然遺産である白神山地の麓に位置し、古くから豊かな森林資源を背景とした林業の町として発展してきた。清流を活かした農業も営まれている。藤琴村・粕毛村【近世〜1955】
三種町
みたねちょう
20062006三種町の名称は、町内を貫流し水源として地域を潤してきた三種川に由来する。この地域一帯はかつてアイヌ語を話す人々の生活圏とも重なり、自然と密着した地名が残る。西は八郎潟の干拓地から東は山間部まで変化に富む地勢を持ち、日本一の生産量を誇るじゅんさいの栽培や稲作など、多様な農業が展開されている。八竜町【1965~2006】
琴丘町【1955~2006】
山本村・町【1955~2006】
八峰町
はっぽうちょう
20062006八峰町の名称は、合併前の「八森」と「峰浜」から一文字ずつを合わせたものである。かつての八森はアイヌ語の影響を受けた自然地名が多く、江戸期には八森銀山の鉱山町として賑わった。日本海に面した荒々しい海岸地勢を活かした沿岸漁業が盛んであるとともに、背後の山林資源を背景とした林業や農業も行われている。八森町【1954~2006】
峰浜村【1955~2006】
五城目町
ごじょうめまち
14951896五城目町の名称は、古くは「五十目」と記され、川の合流点を示すアイヌ語説や、年貢の単位に由来する和語説がある。江戸期から続く歴史ある朝市の町として知られ、山間部の木材や農産物、周辺の海産物が集まる交易の拠点として繁栄した。盆地と丘陵が交わる地勢を活かした稲作や林業が、現在も町の根幹を成している。五城目(在郷町)【近世〜】
八郎潟町
はちろうがたまち
1688頃1956八郎潟町の地名は、伝説の人物「八郎太郎」が姿を変えたとされる日本第2位の巨大な湖、八郎潟に由来する。湖周辺の小川にはアイヌ語の「ナイ」を語源とする地名も残る。かつては湖の豊富な水産資源を活かした漁業で栄え、同時に羽州街道の宿場町としても機能した。干拓による地形の変化を経て、現在は農業が盛んである。八郎潟(地域呼称)【近世〜】
井川町
いかわまち
15921956井川町の名称は、町の中央を流れ水田を潤す井川に由来する。この河川や周辺地名には、水場を示すアイヌ語の痕跡があるとも言われる。古くから平野部のなだらかな地勢を活かした稲作が盛んで、純農村としての歴史を歩んできた。また、東部の丘陵地帯では果樹栽培や林業など、自然と調和した多様な農業が営まれている。井内村・井河村【近世~1955】
大潟村
おおがたむら
19641964大潟村の名称は、日本第2位の面積を有した八郎潟を干拓して誕生した新しい大地に由来する。湖周辺にはアイヌ語由来の地名も点在していた。国家事業の八郎潟干拓によって湖底から生まれ変わった広大で平坦な地勢を活かし、入植者による近代的な大規模機械化農業が展開される、全国屈指のモデル農業拠点である。(干拓事業名)八郎潟新農村【1960年代】
美郷町
みさとちょう
20042004美郷町の名称は、豊かな自然と美しい田園風景が広がる郷であるという地勢的な魅力に由来する瑞祥地名である。一帯にはアイヌ語の面影を残す地名も多い。名水百選に選ばれる六郷湧水群など豊富な地下水に恵まれ、古くは湧水を活かした酒造業や商業で栄えた。現在は肥沃な平野での稲作を中心とする農業地帯である。六郷町【1891~2004】
千畑町【1986~2004】
仙南村【1956~2004】
羽後町
うごまち
1868 1955羽後町の名称は、旧国名である羽後国の中心地域としての発展を願って名付けられた。町内の「西馬音内」などはアイヌ語の地形表現に由来するとされる。山々に囲まれた盆地地勢であり、豪雪地帯の過酷な環境を克服して豊かな農業を営んできた。小規模な城下町としての歴史と、独自の伝統民俗文化が息づく町である。西馬音内町 ほか(旧村名)【1889~1955】
東成瀬村
ひがしなるせむら
18891889東成瀬村の地名は、村内を流れる成瀬川の東部に位置するという地勢に由来する。「成瀬」の語源には、川の瀬が鳴る音からとする和語説や、アイヌ語に繋がる説がある。奥羽山脈の懐に抱かれた急峻な山村であり、古くから豊富な森林資源を活かした林業で栄えてきた。冷涼な気候と清らかな水を利用した高冷地農業も盛んである。成瀬(郷)【近世〜】

秋田の「潟(かた/がた)」地名について

秋田沿岸部には、砂州(砂の堤)で外海と隔てられた浅い水域=潟湖(ラグーン)が発達しました。代表が八郎潟で、近世以降の絵図や地誌にも頻出します。地名要素の「潟」はこの自然地形を指し、潟上市/八郎潟町/大潟村などの自治体名や小字に広く残ります。20世紀後半の干拓で「大潟村」が誕生し、周辺自治体名にも反映されました。

地名の由来

嚮明而治
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